日本をどうする
7       学校教育のなかで子供たちはどうなっていくのでしょう63、日本国民の政治的レベルが低すぎるために政治家も無責任になるのだと思いますが、これは教育制度に問題があると思いませんか。(四十四才、男、自営業)

官僚支配終わり


肉食が地球を滅ぼす



大日本帝国憲法時代は「命令(勅命)」が多かった。

官僚支配73頁

我が国の官僚から見たら、まず、問題によっては、どこへ付議したらよいか、そこから迷ってしまう。

第一、議員の方からすれば、議員同士でスクラムを組めば、官僚側を分断して競い合わせ、支配しやすいシステムであるが、官僚側から見れば、真に厄介な、操作のしにくいシステムだ、と言わなければならない。

帝国議会の時は、勿論、常任委員会というものは、いくつか置かれていたが、法案や議案は、一件ごとに、その都度、特別委員会を作って、そこで予備審査的なことを行う。終われば解散して審議は本会議でおこなわれるというやり方であった。

・・何とかしなければならない。

と官僚側は考える。常任委員会制度そのものは、有ってもいい。「大きな政府」を指向する世界の大勢から見れば、ますます法案が増え、本会議場だけでは行き届かななく恐れがある。

しかし、常任委員会は、何処かの官庁に付属する、即ち、各省庁別に系列化されるのが望ましい。

そうすれば、省庁の傘家に入って、日がたてば、議員自体もその省庁に馴染んでくる。

 官僚の方も面倒を見やすい。私兵化が可能になる。

政策の構想、その法案化。此れは、官僚の仕事である。

議員などにできることではない。議員は、票と引き換えに選挙民から、また資金と引き換えに業界から陳情を受ける。それを官庁に持ち込む。官僚は恩に着せながら、その一部または全部を採り上げてやる。それを法案化し、系列の常任委員会にかける。

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こうすれば、常任委員会に張りつけられた議員は、その省庁の私兵となり、操縦可能の「・・族議員」ななる。当然、此れに対しては、各省の出先、利益代表になるからまずい、と言う声が、無かったわけではない。元々、常任委員会が多すぎると言う声もあった。

しかし、何よりも、官僚達にとっては、これほどいい案はない。

館長同士で、法律ごとに所轄争いをして、そこに議員が付け込んでくる。それを避けるには、事項別委員会は、絶対、変えたほうがいい。

そこで、一九五五(昭和5三〇年)一月、国会法の第5次改正をものにする。しかも、

 常任委員会の整理は、各派一致を取り付けている。

情けないのは、議員のほうだ、着々と、明治以来の官僚支配がやりやすい環境を整備していく。例えてみれば、蛇に見込まれた蛙である。身の危険を本能的に感じながらも、一度蛇の眼に射すくめられると、自分からジリッ、ジリッと引き寄せられていく。

又、自分たちの墓穴に至る。その道を整備しているのだ。

国会に於ける「数の壁」

国政は、官僚による「超然主義」を至上とし、与党の政治家は、官僚の演出に従って、一体となって行動する。

75頁

大日本帝国官僚として、議会を協賛機関と心得てきた官僚は、着々と米軍肝入りの「国権の最高機関」「唯一の立法機関」の骨抜きを進め、ほぼ、完成の域に達したのであるが、ここに、どうしても超えられない壁が有った。

一寸の虫にも五部の魂。すっかり牙を抜かれたはずの野党議員にまだ伝家の宝刀が残されていた。それは、国会における「数」の壁である。

一九五五年(昭和三〇)に出来た、いわゆる「五五年体制」は、通常の立法を官僚の思うように進めることを可能にした。

しかし、折から、至上命令とされた国土防衛、日米安保体制の構築が、国会に於ける各議員のそう議員の三分の一の壁にぶつかり、支障を来すことになった。

憲法で、最大争点となっているのは「第九条ー戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」だ。この壁を破るのには、国会の各議員の総議員、その三分の二以上の賛成が得られなければならない。

アメリカは、日本のフィリピン化を念頭に置いたのかどうか、あの国に与えた憲法と似たものを、日本国憲法にも入れた。それは、日本を非武装化し、米軍の管轄下に入れる、と言うものであり、軍事上の「真空地帯」を形成することではなかった。

日本政府は、「自衛権」のない国を想定できなかったが、吉田茂のような、皮肉な男は、・・アメリカを傭兵にして経済に励む。復興したら、その時は、その時。と、米軍の思惑は逆手にとって、まず、丸腰でこの国を始めることにした。

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そして、五年。世界は、刻々と変わってきた。ソ連は、スパイ作戦など、あらゆる手段を尽くして、とうとう原爆を保有することに成功した。中国大陸は共産化して中華人民共和国になり、原爆を持ったソ連と手を結んだ。

極東の風雲、まさに、急を告げ、一触即発の危機、日本弱体化を楽しむ余裕は失せた。

その一九五〇(昭和二十五年)一月一日。占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、四年前に自らが与えた憲法に対して、「日本国憲法は自衛権を否定せず」との言明を発する。

1995年11月18日(土)13時09分

 憲法制定権力が、有権解釈を施す一幕である。そして、それを継承拡大するのが日本官僚の仕事だ。

そしてその年六月、朝鮮戦争勃発。七月七日国連軍派遣が決まり、その最高司令官に指名されたマッカーサーは、翌八日、日本政府に対して「警察予備隊」という名の自衛組織の創設を命じる。名は「警察予備隊」であるが、丸腰の日本が再び武器を取ると言うことである。

もし、このことを正面から取り上げようとするならば、言うまでもなく憲法九条の改正がいる。出なければ日本官僚が国民の総意を形成することができない。

そして、その前に立ちふさがったのが、この三分の一の壁、野党の死守する天下の宝刀である。いかにすべきか。

まず、与党の政治家とは一体にならなければならない。次に、野党の政治家に対してはその鋭鋒をそらす。ぬらりくらりと時を過ごしながら、実績を作っていく。

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憲法はどうなる。改正などと言う正面作戦はやらない。迂回作戦でいく。

官僚のこの作戦は図にあたった。

この「警察予備隊」が「保安隊」になり、「自衛隊」に変わる。幼虫がなぎさになり、蝶に変わったようなものだ。

日本国憲法を頂戴した時、その「第九条」に酔った人々。ソ連の指令で徹底的にこれを

利用しようと眼を光らせた人々。さまざまの思惑がこの条項を中心に渦巻いて日本人を迷わせた。       それが四十数年続いた。

一九九二(平成四)年は、この自衛隊をPKO(国連の平和維持活動)の為に海外に出すか出さないかで大モメに揉めた。国民の側から見ていると、政府が徹底的に曖昧にしているのだから、細部のことはよく分からない。

しかし、ある時、気づいてみたら、政府の思い通り元から大きく動いてしまっている、いうのが実感であろう。ここで、政府のこれに対する言語の変遷をたどることはよそう。始めと終わり、この違いだけを直視して、この変化、この転向はどうして可能になるのかをたどってみよう。

 先ず、「元」。そのもっとも素直な表現。中学の教科書では、「永久に侵すことの出来ない(人権)も、(戦争のない社会であることが前提)になる」とする。

日本は、その戦争のよって近隣諸国に「大きな被害を与えるとともに、わが国自身も大きな犠牲を払った」。

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その反省の上に立って「我が国は、二度と戦争を起こさないという固い決意を、憲法の中にはっきりと歌った」。

国際社会の中では、戦火は絶えることはない。全世界が平和になることを願うが、当面この現実をどうするか。もし、日本に、火の粉が、降りかかるようなことがあるとすれば、その時、どうしたらいいか。それは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、その安全と生存を保っていこうと決意」したのだ、と教える。

この「諸国民の公正と信義」は、だから、こう解するほかはない。

その一は、日本に火の粉をかけてくる国はない、と言うこと。その二は、仮に、かけて来たとしても、「公正と信義」を愛す別の国がその火の粉を払ってくれるはずだ、と言うことである。占領されて時期を待てばいいという学者もいた。

そして、当時、社会主義こそわれらが未来と考えて人々には、「平和愛好国=社会主義国=ソ連、中国、北朝鮮」であったから、これらが危険国アメリカ、その帝国主義的行動を牽制してくれるから、武器を持たなくても、又、自衛などということを考えなくても良い、と、こう、子供たちに教える事が出来たのである。

だから、「第九条には、我が国が戦争を放棄し、戦力を持たず、交戦権を否認する事が、定められている」。これは、「世界の国々の中」でも、徹底した平和主義を打ち出した憲法である」。

しかし、現実には、ソ連は、周辺はもとより、世界の要所に占領下の日本政府のような性格の衛星国を作り、国民生産の大部を軍部につぎ込んで世界を圧迫してきた。

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これを恐いと見た日本政府は、アメリカにすがり、言われるままに自衛隊を創設し、育ててきた。しかし、東欧のように占領されてもいいと考える人も居て、これを巡って国論は二分されたが、今では、二十%程度の人々を残して、大方の国民は、自衛隊の存在を不思議に思わなくなってきている。

どこの国にも自衛権はある。日本にだってある。これは、国の基本権であり、永久不変であると考えられている。しかし、自衛隊は「自衛のための必要最小限の実力」で、第九条の「戦力」に当たらない、という物でなければならない。

教科書は、ひと言。

「日本国憲法第九条に反するのではないかと言う意見も見られる」と、書いてある。さて、憲法と言う改正困難な基本法を置きながら、現実に動く世界に対応しようとい言うことになったら、いったい、どうしなければならないか。

日本官僚の知識の範囲には、ドイツの代表的公法学者ゲイルク・イェネックがあった。

この人は、憲法を巡って「改正」と「変遷」との違いを明にした。

憲法というのは、国のあり方、動き方を決める基本法である。そして、その国というのは、変幻きわまりない内外の情勢の中にあって、刻々とその変化に対応していかなけ

れば、国民を幸福にする事が出来ない。

しかし、憲法も、正文である以上、書いてある文言でカバーされている範囲には限界がある。しかし、国は、はた目には超えたと思われる動きでも、やむを得ないでする場合がある。

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日本国民は一九七七(昭和五十二)年に此れを経験した。日本赤軍の起こしたダッカ事件に際して、憲法以下の日本法規を破って囚人を釈放し、国外に逃がした。

当時、政府は「超実定法的措置」と説明した。

人間は、神ではないから、全てを包含した正文を、あらかじめ作っておくことは出来ない。と、なると、正文を変えるか、それとも、その儘にしておいて、やむを得ない事実に脱帽するか、どちらかを選択することになる。

イェリネックは、その前者を「改正」と呼び、後者を「変遷」として、両方とも憲法と事実との矛盾を解消する合法的な方法であるとした。

「事実によって憲法を変更させる」勿論、「変えてやろう」という意図があって変え

るのは、これは、「改正」のほうだ。そういう意図はなかった。

しかし、積み重ねられた事実は、ある日、憲法正文と異なっていた。

と、そう言う現実を、憲法の破壊、ないしは脱法行為と決めつけずに「変遷・ヘンセ

ン移り変わっていくこと」といって合法化する。

日本官僚にとって、こうした「法理論」がある、と言うことは、「脱法行為」として

の罪の意識なしに「事実」の積み重ねに精をだすことを可能にすることであった。

憲法正文中第一の難問、「第九条」も、同様「脱法」でなく「変遷」として片づけられ

るところまで来ている。

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思えば、長い道のりであった。自衛隊は「合法、合憲」と叫んで事実を積み重ねてきた

が、この合憲論が、仮に、反対派の言うように、第九条正文を見る限り無理だとしても、今度は「変遷」で片づけられるだろうから、どっちへ転んでも問題はない。

意識して、第九条を曲げたことはない。合法だと解釈して今日まで来た。そして、今日まで事実の積み重ねが、国民多数の間に定着してきている。もうちょっとのところだ。

憲法学者も、政府の違法行為や、条約による変更などを、直ちに、客観的に確立した

「変遷」ん現象と見ることを拒否する。

しかし、政府を中心とする公権力機関の解釈や制度上の実践が公権的に争われる事はまずない。その上、国民の側でも、その結果を争わず、「そういうもんだ」と、積極的に同意する、又、そこまでいかずとも消極的に承認した状態に立ち至っている、と言うことになれば、現実に、「憲法の変遷」という現象が起きてきた。

 第九条にも憲法的変化が起きた、と、何時かは認めざるをえなくなるはずである。

五十五年体制下の野党の一部が唱えてきた「安全保障基本法」の成立が、その境を画することになるも知れない。

日本国憲法第九十六条は、衆院、参院両院の総定数七六三人の三分の二以上即ち、五〇九人以上が賛成してまず、改正発議をする。その上、国民投票をして過半数の賛成を得ないと改正できない、としてある。現実には不可能な方法である。

しかし、官僚は、これをクリアーしようとしてきた。遂に、最難関の第九条の意味内容を、思う方向に引っ張ることに、ほぼ成功してきた。

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自衛隊の海外派兵は現実の物となった。

                         国民の代表のチェックを断つ

官僚立法の復活

アメリカは、国会を「国の唯一の立法機関」に定めて、明治以来の大日本帝国官僚による、ほしいままな「行政立法」を辞めさせようとした。

大日本帝国官僚は、曲がりなりにも三権分立の体裁を取り、議院内閣制を始動させて

いた。しかし、「立法」は帝国議会の協賛を得て天皇=官僚が行い、「司法」は裁判所が天皇の名において行った。

そして「行政」。

行政は、立法、司法とは別に、天皇に直属する内閣総理大臣と各省大臣が、天皇の命ずる「官制」により、行政各部の最高責任者として執行する事とされていたのだ。

だから、「局」「課」は勿論、「省」「庁」などの政府機構の改廃増設は官僚の自由、その月給も勲章も、お手盛りで国民の眼に届かない所で勝手に決めることが出来た。もともと英国を本場とする「議院内閣制」は、国民の代表が行政府の長になり、官僚を指揮して行政を行うものであった。

明治の先覚者たちは、此れを、とんでもないことと思った。

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もし、これを日本に入れるならば、日本は「人民の妄議」の国となり、「其統紀元を失い、国家も又興亡」すると判断した。

 

一八八一(明治)年に政府の中枢で筆頭参議をしていた大隈重信が、突然、罷免され、時人これを指して「明治一四年の政変」と言った。

色々な解説が出た。

「藩長藩閥が、肥前出身のよそ者、大隅のヘゲモニー(主導権)を恐れて追い出したのだ」とされた。そのような面も勿論有ったが、実は、大隅が天皇に密奏した。それまで一緒に仕事をしてきた伊藤博文にまで隠して上奏文をだし、

「他の人に絶対に見せないように」と、天皇に念押しまでした。

それがバレたのである。しかも、その内容は、伊藤たちが進めていたドイツ流立憲君主制でなく、英国流議会主義を骨子としていたというのだ。

大隅以外の参議たちは仰天した。そして一致して大隅追放に賛成した。よろしく行政権は、天皇の下、政党の外に立ち、超然として国家改造、人民啓蒙の先頭を歩かなければならない。      と、彼等の全部が考えていたのだ。

アメリカは、そういう官僚の万能権をことごとく廃止し、国会で定立される法律の下に縛りつけることにした。

しかし、官僚は強かった。唯一の立法機関の立法過程を、自家薬籠中のものとした官僚が、次に考えることは何か。言うまでもなく、戦前威力を示した「行政立法」、すなわち国会によらず官僚だけで立法が出来る。あれを、出来るだけ再現す事である。

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もとより、憲法を始め、多くの制約が課せられている。これを潜り抜けるのは容易では

ない。しかし、不可能ではない。

ナポレオンは、全欧に君臨する絶頂の頃、「世の辞書には「不可能」と言う文字はない」と、言った。これぞ、明治以来、統治に習熟した日本官僚にも、当てはまる言葉である。日本官僚は、ゆっくり、活動を始めた。

大日本帝国憲法は、官僚が国会の上に立ち、国権の最高機関としての権能を発揮できるように作られていた。従って、国会を媒介(仲立ち)せず法定立を実行する道があった。

ところが、日本国憲法になって、「国権の最高機関」の座を国会に空け渡し、国民を縛る「法」は、「唯一の立法機関」たる国会の仕事とされたため、官僚は、思う時に、思

う「法」の定立が表向き不可能になった。

 

「命令」という名の「法」は残された。しかし、縛りがかかった。

日本国憲法は、第七十三条六号に内閣の作る「命令」・・これを省庁の作る命令と区別して「政令」と言う・・を作る場合の条件を明示した。それは、この政令は、「この憲法及び法律の規定を実施するがために」のみ作ることが許される。

初めに「憲法及び法律」ありき、即ち、初めに国会の意思がある。官僚が勝手に作れるわけではない。

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まして、罰則つけること。大日本帝国憲法はこれを官僚に許していた

日本国憲法は、「特に、その法律の委任がある場合を除いては罰則を設けることが出来ない」と、これ又、厳重に国会意思に係わらせている。

国会が、官僚に任せた、とする場合にのみ、官僚が、政令に付ける罰則を考えることが出来るのである。

官僚は、此れによって、大日本帝国時代のように、自由に命令を発し、罰則を付けて国民を縛る事は出来なくなった。

しかし、思う仕事が、それによって出来なくなったと考えるのは早計で有ることは、前説までに述べた通りである。官僚は、それが必要と思えば、立法過程を操作し、ロクな反対審議もできなくなっている国会の協賛を得る道が残されている。

のみならず、法律の網には、穴がある。人間の力で、此れから生じてくる万般の万般の事象のすべてにあらかじめ「法」の網をかけておくことは出来ない。限りある人間の知恵では、それに限りが有る。

そこを埋めるのは誰だ。埋め方に二通りある。その一は法改正、その二は、解釈で補うことである。そして、その主役は、官僚だ。

官僚も、初めのうちは遠慮していた。しかし、機会はまもなくやって来た。野党がやかましくて法案を通せない。・・・・・ならば昔やっていた行政立法で。

その代表例に栄典法案の行方がある。

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                            栄典法にかえて政令で

敗戦後、支配階級の間で自粛してきたことがある。

「栄典の授与」が、それである。

「栄典」とは、春秋に二回ある、あの勲章や褒章を下げ使わす、栄誉を表彰すために、特定人に与えられる特殊な待遇のことを言っている。

それは、軍人や官僚の権威を高める。そこへ仲間入りしたい財界人やその他の指導層を

引きつける有力な手段でもある。

大日本帝国時代には、まず、「爵位」、侯爵だ、伯爵だ、と言う、あの物語に出てくる位のことである。

此れには、「公、侯、伯、子、男」の五段階があり、さしずめ、今、この制度があれば、松下幸之助は男爵ぐらいにはなったはずだ。吉田茂は公爵か。佐藤栄作もノーベル賞をもらった位だから、子爵が男爵に列せられたであろう。

戦前政友会を率いて議会に絶対多数を布き、最強の政党内閣を作った原敬は、実は授爵の内定があったのを断っている。その他に「位階」、正一位から従八位まで十六階の位がある。

此れには推古天皇の昔から古い歴史がある。それに「勲章」、「記章」、「褒章」、

「金鵄勲章」とある。

このうち、まず、「伯位」。「男位」。平等を旨とする日本国憲法は、「法の下の平等」を記載した第一四条に第二項を設けて「華族その他の制度は、此れを認めない」とした。

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これで、ドラ息子でも親の跡を継いで威張れる例はなくなった。又、軍人を無くする

ことによって「武功」を功一級から功七級に分けて表彰する「金鵄勲章」や従軍記章

は消滅した。

その他の栄典制度はどうなったか。

憲法はその第十四条を設けて「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、如何なる特権も伴

わない」とした、さらに、もらった人はその一代限り有効ということにした。問題は、その先である。

誰が授与者であるか、と言うこと、それは天皇である。褒めること、許すこと、即ち栄典の授与と、恩赦をすることは、昔から、君主の仁慈に属することがらであった。

君主制の経験のないアメリカ人でも、そこのところは異論はなかった。彼等の先祖のヨーロッパでもそうしていた。フランス革命を起こして、世界のお手本になったフランス人は、口に平等を唱えながら、他方、勲章を胸に飾って、人との差に鼻、うごめかすことも大好きだった。

天才ナポレオンは、そこのところを察していた

どこへ遠征しても、常に、大地に耳を付けてパリの民心を聞くようにしていた彼は、権力を奪取すると、間もなく「レジオン・ドヌール勲章」を制定した。此れが、その後の何度かの革命を乗り越えて、未に生きている。

平成7年11月21日(火)9時52分

 

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日本人は、位階と言うものがあった。宮中の席次はこれで決まった。その一きざみが彼等支配層にとって、どれだけ気にかかるものであったか。

しかし、勲章と言うのは明治に入ってからである。それなのに、日本人はたちまちこれのとりこになった。日本人もまた勲章好きである、と言わなければならない。

かくて、「栄典を授与すること」は、天皇の国事行為の一つとされた。憲法第七条第七号にそれが明示されることになった。

しかし、これを実施するには「叙勲基準」がいる。基準なしで官僚も仕事を進めることはできない。栄典には栄典法制がいるのである。何よりもまず、大日本帝国憲法下で、天皇の大権として、勅命によって決められていた旧基準をどうするか。

官僚は、ここでもまず、一歩身を引くことにする。

もともと旧基準は、軍人、官僚を中心にしたものだ。戦後の騒然とした空気の中で実施したら、どう転ぶか、わかったものでない。

一九四六(昭和21)年53日、幣原喜重郎内閣は、閣議で叙位叙勲をしばらく停止する決定を行う。かつての「勅命」に変わる「閣議決定」である。

勲章有資格者は首を長くして待たされている。そして、その二年後、一九四八(昭和23)年になって時の芦田均内閣は「栄典法案」を作り、国会に提出した。

同年六月衆院文化委員会で行われた提案理由説明に夜と、それは、「憲法に予定」されたものである。そして、憲法に予定された「憲法付属の諸法律」はたいていすでに作られている。この栄典法は、その中でも「わずかにのこっておりまする事項の重要な一つ」である。

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この法案は、その年の一〇月、あしだ内閣が倒れて廃案になった。・・また、待ちどうけだ。憲法第七条第七号は厳然としてそこにある。天皇が「栄典を授与する」。そして、制度は、明治以来のものがあって眠らされている。何しろ実施法がないのだ。

制度はあってもエンジンがかからない。そこで、歴代内閣は法案提出を試みて北が、野党の社会党が頑として言うことを聞かない。そのうち、首を長くして待っている人々が高齢化していく。

もう、長くは待てない。しかし、政治情勢は混沌としている。栄典法どころではない。ここは、官僚の知恵の出しどころである。彼らは、そっと、閣議決定による一部解除を思い立った。内閣総理大臣は、吉田茂である。

一九五三(昭和28)年918日、「生存者に対する叙勲は、昭和21年以来原則としてその取扱いを停止し栄典制度を再検討した後、実施する方針であったが、最近の状況にかんがみ緊急を要するものについては、一応現行勲章を授与することとする」と言うのがそれである。

小出しにしてみる。そして、反応をうかがう。反対がすごかったら、運用で加減して、さらに時期を待つ。何しろ、大日本帝国憲法下であれば、「憲法・・勅命」と言う法体系ですむ。日本国憲法下では、勅命はないにしても、「憲法・・勅命」の体系がもし許されれば、しめたものだ。

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正しくは「憲法・・法・・勅命」でなければならない。国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である国会の意思、すなわち「法」を抜きにして、いきなり、行政府が憲法の実施法=政令という立法行為をすることは難しい。そう考えたから、憲法制定に係った芦田均は、自己の内閣の時に「栄典法案」を国会に出したのだ。

不幸にして芦田均は、昭電事件で倒れ、「栄典法案」は日の目を見なかった。しかし、その考え方はスジが通っていた、と言わなければならない。学会では、この問題は、

「憲法を直接実施する政令が存しうるか」と言うかたちで論じられている。通説は、もちろん、「存しえない」である。

だから、具体的な問題として、栄典法制を考える場合に「憲法・・勅命」の戦前の形は論外としても、「憲法・・政令」と言う官僚がひそかに考えている行政府オンリーの立法形式は、「違憲の疑いがある」と、言うことになり、栄典制度をめぐって戦後数度にわたり政令や閣議決定を繰り返してきた行政府の行為は、失当であった、と言う結論になる。

こういう場合の官僚の特技は、「待つ」である。時勢は刻々と変わる。人心は落ち着き、いわゆる「五五年体制」が確立されて政情は安定する。そして、一〇年。そろそろどうだ。時に第二次池田内閣。

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「寛容と忍耐」、「所得倍増」をスローガンにして、六〇年安保で荒れた世情を巧みに安定させてきた。その物怖じしない政治家池田勇人が磐石の政権を維持している。

     ・池田さんの先生、吉田茂も八五歳、もうそろそろだ。あの人なら「大勲位菊花大勲章」だろう。

池田内閣は、一九六二(昭和37)年8月の閣議で栄典法案を決定した。第四三通常国会をにらんで、いつでも提出できるように準備したのである。

しかし、どうしても社会党を中心とする野党と折り合いがつかない。そうこうしているうちに、一九六三(昭和38)年6月、第四三通常国会の会期末を間近に、自民党は、労働二法の改正案を引っ下げて社会党と激突した。

618日、衆院社会労働委員会で自民党は、どう改正案を強行採決すりゃ、社会党は、本会議で牛歩戦術を取ってこれに対抗した。しかし、例によって例のごとく、5日後の623日には衆院通過、71日には参議院を通過して、めでたし、めでたし、となる。それから2日後、自民、社会両党間に、国会正常化の申し合わせが成立した。機は熟してきた。

76日、国会は幕を閉じる。池田首相は、法案をあきらめ、いよいよ叙勲のことを712日の閣議にかけることにした。

野党抜きの迂回作戦である。そのころ、池田首相の腹の中では、社会党の機嫌のいいとき、そして国会閉会中、閣議決定という方法で栄典に関する旧勅命の息を吹き返させる決心が芽生えていた。

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吹き込んだのは言うまでもなく官僚だ。「法案を国会に出しても通らない」「迂回作戦をとりましょう」「そんなことできるのか」「まかしておいて下さい。その代わり、反対はあるから、腹をくくっておいて下さいよ」「わかった」池田首相は79日、箱根に出かける途中、大磯によって、師の吉田茂にも会っている。吉田元首相は、一九五三(昭和28)年に、緊急を要するものだけを解禁にした張本人である。

その吉田元首相とは、10年の歳月を感をもよおしたことであろう。

一九六三(昭和38)年712日の閣議決定は、簡単に、二項目を述べるだけである。

「一、   昭和2153日の閣議決定により停止した生存者に対する叙勲を開始する。

「二、   叙勲は、国家または公共に対し功労のある者を広く対象とするものとし、その基準は、別に定める」

これについて、池田首相は、短い談話を発表した。経過を簡単に述べた後、「国家公共に対する功労者に勲章を授与することは、世界各国に共通する制度であり、これら栄典制度に対する国民の期待を考え、また、すでに相当数の内外人に対し叙勲が行われた事情等を考慮し、現行の勲章制度によって、生存者叙勲を開始することを至当と認め、その旨を閣議決定した次第である」と、言っている。

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キーワードは三つである。それは「世界各国に共通する」ものである。そして、「国民の期待」がある。その次、「すでに相当数・・行われた事情」である。理由としては完璧だ。

残るは官僚偏重緩和の問題、幅を広げて日本中の指導層に期待を持たせること。談話は続く。

「生存者叙勲の開始にあたってもっとも留意しなければならないのは叙勲の基準である。この際、国家または公共に対し功労のある者を、各界各層に渡って広く対象とするように、新たな基準を定めることといたしたい。なお、位階令による叙位は、古い歴史もあるので、生存者に対しては、一応現状のまま停止して今後検討する予定である」

まず勲章、それも行きわたりますよ。

君にも、あなたにも。叙位は、順番付けでもめそうだから、もう少し後。少しずつ、用心しながら崩していく。官僚の真骨頂である。

さて、池田首相に決心させた官僚は、法学部出身の秀才ぞろいだ。憲法違反の疑いで憲法学者を中心に、ガタガタ言われそうなことは百も承知だ。その対抗としての理論構成に抜かりがあろうはずはない。

時の内閣法制局長官は、大蔵省出身で一九四八(昭和23)年から法制局勤めをしているべてらん林修三である。

国会は確かに国の最高機関であり、唯一の立法機関である。だから、基本的なこと、国民の人権に係ることなどを中心として、重要な立法機能は、国会が排他的に独占するのは当然である。

国民の代表者の集まりとして、そういう重要事項には、必ず、国民の意思を反映させる、そのために、国会が立法する。当たり前のことだ。

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大日本帝国憲法時代は「命令(勅命)」が多かった。

だから、選別をして、おっしゃるような大事なものは「法律を似て規定すべき事項」として立法化する。それ以外の既存の勅命は「昭和22年精励十四号」で、「政令」に生まれ変わることが許される。そう言う経過措置をとった。

栄典の授与などと言うことが、果たして、立法を必要とする重要事項に属することか。どうせ、国民の中の一握りの指導者層だけに係る事ではないか。

国会で選ばれた内閣総理大臣を中心に、国会議員の資格をもつ大臣たちが、頭を寄せ集めて決めることがなぜ悪いか。悪くない。これで、大日本帝国憲法中官僚専制の代表のように言われた、かの「独立命令」にも似た、法律に基づかない独立の官僚立法「独立政令」と言うものが誕生することになる。

しかもその独立政令は、天皇の国事行為にからませている。昔、大日本帝国天皇は統帥大権を持って議会に関係なく軍を統べ。官制大権を持って議会に関係なく官僚を統率した。官僚は、この大権によって議会外に強大な独立超然の行政機構を作り、栄典は軍や官僚の独占に近い運用をほしいままにしてきた。

 

今、それが復活したのである。この間、野党はどうしていたのか。官僚にとって、野党の反対の動きは、すでに織り込み済みである。社会との委員長が怒り、官僚中心でことを進めることに疑いの目を向けることも、先刻承知だ。

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そのころ、社会党の河上丈太郎委員長は遊説に出かけて東京を留守にしていた。

十三日、大津氏の議員会館で急遽記者会見をした。「憲法違反の疑いさえある」

「栄典制度は以前勅命だったから、国会にかけずに決めていいものと言うものではない」

池田内閣は、1963年8月、「栄典法案」の閣議決定をして国会上程の時期をうかがっていた。「絶対廃案だ」社会党は、てぐすね引いて待っていた。そこへ、この肩すかし、

「国民を無視したやり方だ」河上委員長はクリスチャンで温厚な紳士教養人だった。しかし、これには語気鋭く反論を加えた。

社会党の成田知己書記長は、七月十五日、鉄官房長官に撤回を申し入れた。

官僚はどうした。官僚は、争いの元となる叙勲基準の発表を見送った。

     ・待てば海路の日和とやら。そして、その秋の叙勲シーズンも見送ることにした。

野党より恐ろしいのは新聞論調だ。新聞は言うまでもなく批判的だ。その代表として朝日新聞を見ると、朝日は三日後の七月十五日朝刊に社説を掲げて激しく糾弾した。「だしぬけだ」

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「まさかこういう強引な民意無視の方法に出よとは率直のところ予想しなかった」

「平等な身分に立つデモクラシーの今の社会に、絶対に復活させてはならぬことである」

「どうしても必要なら、それなりに生まれ変わったものでなければならぬ」

「法律作成が困難だから閣議決定でやると言うなら、国会軽視はもちろん、新しい栄典制度についての心構えを疑しめるものがある」

「しかも今度は、国会閉会を待っていたかのように、閉会直後に閣議決定を強行している。遺憾と言う外はない」

では、朝日は、栄典制度に反対しているのか、と言うと、そうではないのだ。

「もちろん、われわれは、栄典制度を抜本的に否定したり、これに反対したりするものではない。・・新憲法にふさわしい制度を国会の議決の上に確立せねばならないと考えるわけである」

     ・脈はある。後は、時が解決する。

官僚は心中ひそかにほくそ笑んでいる。

     ・実際の顔ぶれを見て驚くな。半年待って翌年の四月。すなわち、一九六四(昭和39)年4月28日、政府は、閣議で新しい叙勲基準による第一回生存者叙勲を決定した。

予定通り、「大勲位に吉田茂氏」と言う文字が大見出しになった。

官僚は慎重に事を運び、この日、決定になった顔ぶれには、生臭さの残っている現役を避けることにした。

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OB中心。ご隠居様にしぼろう」「現役は二回目にしょう」

官僚支配トップ


日本をどうする?! カレル・ヴァン・ウォフレン著

あきらめる前に、144の疑問、早川書房1991920日初版、

92頁、

7        学校教育のなかで子供たちはどうなっていくのでしょう


63、日本国民の政治的レベルが低すぎるために政治家も無責任になるのだと思いますが、これは教育制度に問題があると思いませんか。(四十四才、男、自営業)」

答、教育制度に責任があるとすれば、それは今のシステムが社会だとか政治の機構を維持することを助ける働きをしている部分が問題だと思いますね。

日本の学校教育というのは、違憲をはっきり述べる訓練をしていないし、社会問題や政治問題に対して個人の意見を持つための訓練もしない。

そして、子供たちの自発的な行動だとか、自発的な反応を抑えつける傾向がある。ですから、大人になっても政治問題に関してはっきりとものが言えない。こういったいろんな要素がかさなりあって、政治的レベルの低さをもたらしているんだろうと思います。

しかし、教育自体が主な原因ではないと思います。


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64、子供たちに政治に関心をもたせるにはどんな配慮が必要でしょうか。また、学校には学校の権力構造がありますが、どうすればそれにまきこまれないですむでしょうか。(21歳、女、学生、教育学)

答、政治に関心を持たせる教育として最善なのは、子供たちに対してはっきりと、あなたたちも含めて誰もが政治のシステムに関係があるんだ、参加しているんだと言うことを教えることです。

もちろん子供たちは小さな小さな参加しかしていないかもしれませんが、それでも確かに参加しているのです。参加は投票だけに限りません。

投票するだけでは非常に小さな参加しかできませんが、それ以上に、考えると言うことを通して参加している。そして才能があれば、社会や政治の秩序をどう作ればいいかについて、責任ある思考をするように自ら訓練する。

そうしますと、将来いつか、価値ある政治的な意見を持てるようになるかもしれない。そして次には、その考えを発表する方法を見出してゆくのです。

ですから、基礎的なことを教育すると言うことだろうと思います。意見を実際にどう伝えるかと言うような技術的なことを具体的に教えるのではなく、それは何よりもまず、子供たちも政治システムの一部なんだと、政治システムの外にいるのではないんだと言うことをよく分からせることが大切だと思います。


65、今の学校の中で、子供たちの自由と自発性の可能性はどうなっていくのでしょう。将来は?(43歳、主婦)

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答、将来予測はかなり悲観的なものです。日本の教育はこうして面ではよくなってきていませんからね。文部省は教育界に対する管理を強化してきましたが、その結果は益のあるものではありません。

ごく最近まで、文部省の権力に対して日教組はある程度、対抗勢力として存在していた。しかし、今日の日教組はすでにすっかり弱体化し、分裂している。現実的には強力な政治的要素はなくなってしまいました。

日教組はかつても今も、高度にイデオロギー的な組織であることが問題でした。その理論的マルクス主義には、私などはとても同調できない。と言うことは、とりもなおさず、当局から攻撃目標になりやすという言うことでもありました。

しかし、たぶんほかの道はなかったのでしょう。「日本・権力構造の謎」のなかでも明らかにしたことですが、強力なイデオロギーを信奉することからえられる頑固さがったからこそ、日教組のような組織が侮りがたい政治力を身に付け、生き残ることができたのでしょう。

学校内の官僚的権力に対する対抗勢力の存在は確かに必要でした。

個人レベルでも、日教組のイデオロギーには同調しない多くの先生たちをも、日教組は力づけてきた。日教組に入っている先生方は、彼らの教育への取り組み方が支持されていると感じることが出来た。

そして、多くの場合、文部省の支持する官僚的態度よりは、日教組の組合員である教師たちの取り組み方のほうが、生徒たちに対してずっと親身なものでした。

日教組は反民主的勢力の侵食をくいとめるベースの役割を果たしてきました。つい二、三年前まで、日教組は管理強化と教科書検閲強化をねらう官僚に対抗する防波堤だった。

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多くの文部官僚たちは、日本の若者は、「西洋流の個人主義」によってダメになっているから、アメリカ占領軍によって一掃された規律と価値体系を復活させたいと本気で望んでいるようです。

これは本当の反動的で、反民主主義的です。

日本の学校教育は、ますます、巨大な経済機械の人間パーツを提供することを目的とするようになってきています。

戦後、教育システムが整備されていくにつれて、人間の心と精神が求めるより高い次元のものを、ほとんど完全に無視するようになってきた。そして、教育環境がさらに官僚=産業連合の目的に合うように再編されていくのに、日教組がもはや抵抗できないのは悲しい事態であるといわざるを得ないでしょう。

最近では外国人、とりわけアメリカ人などが日本の教育を賞賛していますが、私の知っている限りでは、どの発言も実態を知らないがために賞賛しているに過ぎません。

外国人が感心するのは、日本の学生が数学テストで高得点を取ると言ったようなことばかりです。もちろん、日本には良い学校もあるし、工夫のある良い先生もいる。

しかし、そういう学校に行く、そういう先生にめぐりあうには、運がよくなければならない。子供たちが、オリジナルに考え、ものごとを深く哲学する能力をつちかおうとしたら、あらゆるめ面で自分で努力しなくてはなりません。

 

学校教育の結果、そうなることはまず期待できない。実態といえば、日本の公的教育では、このような能力は奪い去られる傾向にある。

大半の日本人は、将来よい職業につくための地獄のような試験システムはよくないと思っている。こどももたちには非人間的な重荷だ、精神の発達を妨げる、社会的にも望ましくない、と思っている。

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多くの人が同じ思いをもっていながら、何もなされないということは、これもまた、十分な政治議論が日本ではなされていないことを表わしている。この状態に関心を寄せ、政治的に目覚めた親たちのさまざまな運動を、世論がもっと支持すべきではないかと思います。

もし民主的で、そしてイデオロギーによらない市民運動が力を発揮し、官僚に対抗する勢力になれたならば、未来のこどもたちに取ってどんなに素晴らしいことでしょう。


66、最近、15歳の女子中学生が内申書の取扱いをめぐって、地元の教育委員会を裁判所に訴えると言う事件が、大阪のでありました。生徒たちは、先生方の書いた内申書の中身を知る権利があるという訴えでした。カレル・ヴァン・ウォフレン氏の意見は?(30歳、女、国家公務員)

答、この訴訟はすばらしいことです。娘さんは本人はもちろん、ご両親に声援を送りたい。生徒当人が見られないことを盾に、教師が内申書を生徒をいじめる武器として使っていると話は、たいてい秘密にしなければならないと説明していますが、この説明は説得力がない。まったく逆のことも言えるでしょう。

今の学校の状況を見ると、日本の権力者が、日本の人たちをどうさせたいかがうかがえて、大変興味深い。さまざまなところで危機的状況に立ち至っていることをまず認識しなければなりません。

生徒たちが制服を拒否している学校があります。生徒たちは、このように反抗することで、個人であることを訴えているのです。

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多くの学校が、生徒が人間として独立することを恐れている人たちによって運営されていて、そういう事態に手を打たなければならないと考えている。こっけいな、ばかげた校則が増えているのを見ても分かります。

これに対処する一便方として、教師がいじめを奨励することがあるという。実に恐ろしいやり方です。他のこどもと違う、あるいはただ単に違うだろうと思われた生徒をのけ者にして、いじめグループを作れば、確かにそこには何らかの団結心が生まれるでしょう。教師はリモコン操作をして、秩序を作ると言うわけです。

私は、日本人と結婚して、小都市に住んでいる何人かの外国人の女性と話す機会がありました。彼女たちは、こどもを日本の学校に通わせたいろんな経験を話してくれました。やはり、運不運があるようでしたね。

いろいろと話を聞いていて、ひとつ、強い印象を受けたことがありました。それは、

教師と生徒のあいだの信頼関係があまりに希薄だと言うことでした。生徒のほうでは信頼される人間でありたい、よい行動をとろうといろいろ努力しているのですが、教師は見てみぬふりをする、あるいはばかげた態度に出て生徒の善意を裏切る。

しかし、その教師の立場では、他に道がないと言う場合も多い。まるで兵営を管理するような厳しい規律が学校にあるからです。

なんともうら悲しいことです。これでは若者はみなダメになってしまう。これでは、市民の生まれようがないと言うものです。

もちろん、日本にはこどもたちのことを思っていろいろやっている人、こどもたちからの本物の信頼を得るにふさわしい人たちがたくさんいます。たとえば映画「となりのトトロ」を作った人たちは、きっとこどもたちが大好きなはずです。そうでなければ、こんな映画は作れるはずがありません。

当面は大阪の中学生とご両親のように、人々がもっと行動に訴えていけば用と思います。彼らは、「しかたがない」と言ってあきらめる必要はないことを、みなに示したのです。


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67、日本の英語教育の欠点は?(33歳、男、教師)

答、興味深い質問ですね。日本人の英語を喋る能力は、日本における教育の性格を露呈している重要な問題点です。

日本人がフランス語だとかドイツ語、あるいはオランダ語を話すときのほうが、平均的に言って間違いが少なくない。英語以外の言語のほうが速く習得できるようだ。

英語を話すためには、まず学校で教わってきた間違った英語をいったん、忘れなければならない。

なぜかといえば、学校では英語が死語のように教えられているからです。ヨーロッパの学校でも特殊なラテン語やギリシャ語などの古典言語が教えられていますが、そうした死語と同じような扱い方をされている。

高校入試から英語がなくなれば、あるいは学校のいわゆる英語教育がなくなれば、会話学校などで勉強して、日本人の英語を話す能力は大幅に改善されることでしょう。


68、日本政治のレベルの低さ、政治家のレベルの低さは、教育制度に問題があるのでしょうか。(28歳、女、市民運動家)

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答、そうですね。日本で公共的な問題に多くの改善の余地があるのは、相当程度まで、教育システムに多くの欠陥があるせいでしょう。

なぜかと言うと、政治家でも、論説を書く人でも、ジャーナリストでも、教師でも、つまり思想やアイディアを生み出したり伝えたりする分野の質のよさ、レベルの高さと言うのは許容力のある、真に自由な環境で大いに刺激され、育てられた頭脳、知性が力を発揮したときに生み出されるものだからです。

こういう条件は、例外的な私立の学校もありますが、ほとんどの日本の学校では存在しません。

その結果、不幸にも日本の国家の才能の多くが無駄になっています。これは日本のさいだいの悲劇だと私は思いますよ。誰もが人的資源を口にし、役人も産業人も口をそろえて「日本は外国に比べて優秀な人材が多い」と言って、人びとの気持ちをくすぐっている。それにもかかわらず、より高い知的レベルにおいて人的資源が浪費されている。

捨てられていると言ってもいいでしょう。

数年に一度ぐらいの割で、日本人は新聞に触発されて金権政治に怒りますが、金権政治よりはるかに重要で問題にすべきなのは、日本の人たちのせっかくの才能と頭脳と知的資源がこれだけ浪費されていることをではありませんか?


100頁、02/5/9 757

8、どうしてマスコミにそんなに批判的なのですか

69、日本のマスメディアは、イエローペーパーを除くと画一的で、横並びに切り口が同じだと思います。何が原因なのでしょう。(33歳、男、語学教師)

答、日本のマスコミには哲学的、政治的、知的多様性に欠けていますね。これはマスコミで情報や意見を流している人たちが多かれ少なかれ同じような社会的教化を受けているからです。特別な経験を持っている人、特筆すべき知的能力を持っている人がいたとしても、暗黙の合意による編集方針によって厳しく制約されてしまう。

政治分野を扱うときに、マスメディアはたいてい無味乾燥で没個性的な立場を取る。なぜならば、マスコミ自体が政治システムの一部に組み込まれているためです。

マスメディアの繁栄もかなりの程度、権力構造のほかの要素とのよい関係をいかにうまく維持するかにかかっているからです。

私は、放送局や新聞社の有力な論説・編集委員やオーナーを政治エリートの一部とみなしています。たまに首相や政治家の批判をしたり、自民党全体を批判したり、大企業を批判するけれども、それはそれで、役割としてときどきそういうことをするように期待されているのです。

101頁、02/5/9 814

けれども、政治システムの基本的性質を一貫性を持って、きちんと分析・批判すると言うことはしない。彼らは自らの職分を、社会秩序を保全するものとして見すぎている。

彼らは、世論を反映するよりは、世論を捏造しようとしている。

哲学的、政治的、知的多様性が欠如していると言う事実ひとつ取ってみても、マスコミが世論を反映していないことを示しています。新聞を読んでこんなものだろうと思うよりも、実際の日本の世論はもっとずっとバラエティに富んでいますよ。

また、マスコミは、官僚その他の大きな権力を持つ者たちがこうあるべきだと考えている世論象を、大衆に伝える役も果たしています。

日本の官僚や大企業の管理者たちは、、かれたの取る行動や考えていることを世論だとアピールすることによって正当化しようという強い傾向がある。

昔、官僚と軍部が天皇の意思と言う名目のものとに行動を正当化したのと同様ですが、それが出来なくなった今は世論を持ち出して正当化するというわけです。

ほとんどの場合、これはフィクションです。官僚をはじめ、管理者たちは、自分の都合のよいように世論を作り出すことが出来るのです。マスコミはこういった権力者の言うことに反対するどころか、むしろ、権力者が描き出す幻想の世論を、逆に大衆に広めていると言えましょう。


70、政治改革において、新聞が果たす役割をどう評価するか。(37歳、男、新聞記者)

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答、あまり大きいとは思いません。新聞記者にしても、その他の新聞の書き手にしても、政治状況を改善したいと思っている人は多いと思います。

しかし彼らには厳しい制度的な制約、限界があります。日本のマスコミの最大の問題点は自己検閲をしていることではないでしょうか。

言論・報道の自由のための注意は、これまで第一に権力当局による検閲とその強権的実施のやり方に向けられてきました。これはよく理解できます。それがすべての基本ですからね。しかし自己検閲となると、単なる政府の検閲なんかよりもずっと複雑で見破りにくいものです。

検閲に気づくのがはるかに難しくなる。しかもいかに善意があっても、完全にやめることはどうしても出来ないと言った種類のものなのです。記者や編集者の意見やつかんだ情報が、その新聞社なり出版社のオーナーの利益損失に直接結びついていた場合、明らかに自己検閲せざるをえないですからね。

それから、編集サイドが自発的に当局に協力して重要な情報をおさえる場合がある・・人名が危険にさらされているケースなどです。ある種の自己検閲は道徳・論理上の理由から行われます。

しかし、もっとも問題をはらんだ自己検閲が、足並みをそろえておこう、みんなと同じでありたいと言う心理によって引き起こされている。まだ十分に究明されていないとことですが、ヨーロッパやアメリカにおいても、ジャーナリスト仲間の期待は意に介さないが、社会の期待に反したくないと言う恐れが、マスコミに恣意的に現実を歪めさせる重要な原因になっていると思います。

このような体制順応志向にもとづいて広く行われている自己検閲は、政治的な目的に奉仕する自己規制へと変身していくのです。そのため、私たちは慎重の上にも慎重にならなくてはいけない。

アメリカでは特に人種問題とのからみで、ついうっかりまずいことをいいはしないかとマスコミ人は恐れていますが、これは問題です。

103頁、02/5/9 1514

日本は不幸にも自己検閲の研究するには天国のようなところです。自己検閲がこれほど組織的に徹底して行われているところは、他の先進国のどこにも見当たらないと言っても誇張にはならないでしょう。日本人のジャーナリストや記者のなかに同じ考えをする人たちが多くいなければ、私だってこれほど強く言うことは出来ません。

自主的に検閲を続けさせる圧力は、日本のジャーナリズムに相当の緊張をもたらしています。

「日本・権力構造の謎」の一章全部を費やして、私は「リアリティの管理」に付いて述べました。マスコミはその中できわめて重要な役割を果たしています。

外国人は一般に日本のマスコミを信じやすいのですが、それは話題の選び方が画一的で、事件の解説の仕方も一致しているために真実を伝えていると納得させる雰囲気があるからなのです。

これはニュースに特殊なフィルターがかかっているからです。お分かりだと思いますが、記者クラブ制のことです。クラブはその数焼く四〇〇あって、各省庁、自民党本部、警察、大物政治家経済団体などに設けられているのですが、これが自己検閲の主要因のひとつになっている。

クラブで集団的意思決定をして何をニュースに取り上げ、何を取り上げないかを決めるために、日本の読者は知るべき多くのことを知りえない状態におかれています。論争の的になる問題が発生すると、日本の記者たちは、クラブの他のメンバーともめないで自分のつかんだニュースを書けるかどうか、どれを書くかを決めるのにものすごい神経を使わなければいけない。

勇敢に書いたためにクラブ出入りを指止められた記者を何人か知っています。記者クラブは政治の現状維持をはかるうえで重要な手段を提供しているのです。日本の権力者たちはクラブを利用して、自分たちが認めるひとつのリアリティ象を作り上げるわけです。

104頁、02/5/9 1542

日本のプレスと役所の関係はあまりにも居心地がよすぎます。カメラマンの中山年秋氏が撮った。結婚したばかりの秋篠宮の髪の毛に手を触れている紀子妃の写真は皆さんもよくご存知だと思います。

自然の愛情表現のしぐさは愛らしいもので、腕ききのカメラマンがとらえた快心のショットでした。宮家のお二人は愛情あふれる人間的側面をみせていました。時の人としてお二人のこの写真はいくつもの雑誌の表紙を飾り、日本でもっとも有名な写真になりました。

こんな写真に抗議した宮内庁の役人は、自分たちがいかに一般の人々の気持ちかけ離れているかを露呈してしまった。

しかし、ここで重要なことは他にあったのです。撮影者である中山カメラマンは、大きな圧力がかかって共同通信社を退社し、ニューヨークで新しい仕事をすることになったのですが、このことは、宮内庁とプレスの親密な関係のために、ほとんどどこにも報道されなかったのです。

日本の自主規制は公的な検閲より効果あがるもので、これが実際に権力者たちを守っています。自主検閲は政治的に健全な社会を築くうえで、大きな障害になっています。そんなことをしていたら、変えなければいけない重要な点を見逃してしまうからなのです。


71、あなたは日本のマスコミは既成の権威に協力していると言って批判しますが、政治家のスキャンダルをあばくなど、日本のマスコミもなかなかの勇気をみせて頑張っていると思いませんか。(23歳、男、大学生)

答、そうですね、マスコミがいつの政治家を悪しざまにののしって見せる姿は、表向きには政治システムに敵対する立場にたっていると見えますね。

105頁、02/5/9 1825

しかし、こんなことをするのに、何ら勇気は要らないと思います。政治家へのこうした攻撃はコーディネートされたものなのです。スキャンダルが表ざたになると、いつもまるで日本中が「狩の季節」を告げられたかのようにいっせいに政治家への攻撃を始めます。

これは一世紀も前に始めて公選の議員が登場したとき以来の慣行にならうものです。

こんなものは政治分析の名に値しません。政治家に貪欲、腐敗、利己的だとの批難をぶつけるのは、日本の新聞が昔からの偏見にもとづく伝統的なやり口くりかえしているにすぎないのです。

このような政治批判といわれる記事を詳しく検討してみてください。新聞は実質的には政策に言及するでなし、ただ政治家にモラルが欠けている事ばかり責めたてています。既成権力が攻撃にさらされているかの幻想を作り出している陰で権力のほとんどを手中にしている官僚たちはのうのうと分析や批判を逃れているのです。

いつもいつもマスコミは、官僚たちが決めた政治的取り決めを、あたかもコンセンサス(全員の合意)によって動いている社会が自発的に生み出したものであるかのように見せる図であくこともなく描きつづけている。

政治権力の現実の姿は、このようにして組織的に見えにくくされているのです。政治家の悪に腹を立てていれば、真に重要な問題について組織的、徹底的な報道をしなくてすむと、日本の編集者たちは一般に思っているようだ。

重要問題とはたとえば、官僚、経済団体といったほかの政治権力グループの内で、またあいだで行われている政治的措置や取引のことです。経済団体というのは、一般にふだんの状況下では政治家より強い権力をもっており、彼らの非公式な関係と取引こそが日本政治の骨格をなしているのです。私がいつもあきれてしまうことがあります。それは、日本の民主主義を守りたいと言う書き手が、そのじつ、民主主義を支える最も重要な、しかし実際にはもっと弱い柱、政治家は休みなく攻撃することです。

106頁、02/5/9 191

日本政治が国民代議制をよしとするならば、それを難しくしている問題点をこそ片付けるべきです。マスコミは政治家に政策立法者としての職能を本気で認めることによって、また官僚が政治家に対して権力をふるうやり口を解き明かし、人びとに知らせることによって、その口火を切ることが出来るでしょう。

また、今は選挙区向けの予算分捕りばかり気にしている政治家を励まして、具体的な国家的問題や国の将来目標を考えることに身を打ち込ませることだって出来るのです。
マスコミは定期的に盛り上がる政治家たたき、政治家不信のムードをあおるのではなく逆に、それと闘うべきだと思います。


72、日本のジャーナリストもあなた方が必要だと言う問題をとりあげて議論しています。あなたのマスコミ批判は的外れではありませんか。(44歳、男、ジャーナリスト)

答、多くのジャーナリストが努力していることは私にも分かります。また、これらのテーマについて知りえたことを総て囲うとすれば困難が多いことも知っています。

私は個々のジャーナリストを批判しているのではなくて、日本の主要新聞が、重要な情報の流れを制度的に制限していると考えているのです。重要なのは情報の多くが活字にならないと言うことです。

もちろん、ときどきは社会問題成り、社会の悪弊に世間の目を向けさせることはあります。そして結果として生ぬるい対策が講じられる・・サラ金地獄やいじめ問題などがそうでした。そうして取り上げるときでも、新聞は読者に因果関係をよりよく理解させる、幅広い視野のなかで批判を加えると言うことをしません。

107頁、02/5/10 740

新聞は自民党の派閥の争いだとか省庁間の戦争など、たいしておもしろくないことを事細かに報道しています。それでもなお、そのような記事を書くことによってどちらかの側を利する結果になると言うことがありますし、またその立場たるや一貫性を欠くものだと言わねばなりません。

また、こうした不調和や対立は日本社会によく見られるものですが、それらについて書くときでも、もうひとつ大きな考え方の枠組みの中で考えてみると言うことをしないのです。

日本のマスコミの自己検閲は有名です。隠されていた策謀や取り決めを少しだけ明るみに出すだけで、それでいつも終わりです。

読者によく理解できる全体像を提供するにはつっこみ不足なのです。これでは読者は、物事を理解しないでくれと頼まれているようなものです。読者はただ、ある種の政治慣行ないしは事態の行き過ぎに怒れと言われているに過ぎない。

田中角栄の金権問題などと言ったスキャンダルや社会現象のおりに、編集者たちは怒り狂い、普段は読者に知らせることもない情報を堰を切ったようにいっせいに流し始めるのです。

権力者の動機について、読む前から分かるに決り文句以外、核心部に迫る議論にはめったにお目にかかれない。日本の新聞が決して踏み込まない政治の分野がわんさとあるのです。新聞やテレビの重要な政治的使命は、これらの詳しく分析解明されたことのない部分にこそあるはずです。

日本社会を左右する権力を操る官僚機構の多くの部門が、日本の平均的な新聞記者にとって未知の領域にとどめられています日本の新聞は社会・政治システムをきちんと分析するどころか、読者が必要としている基本的な情報を組織的に奪うことによって、実際に行われていることを見えなくさせていると私は思います。

108頁、02/5/10 811

週刊誌のほうが日本の政治面を分析する点でよい仕事をすることが多いのですが、週刊誌は娯楽中心のメディアですから、もっぱらスキャンダルを取り上げ、センセーショナリズムに走りがちです。

これでは、日本の政治はどういう関係の上にどう行われているかをバランスよく理解する助けにはならないのです。今の日本にも真剣に率直な書き手がおり、そうしたものを書いています。しかし、まだまだ私たちに必要な量に達していません。議論が十分に「噛み合っている」ともいえません。また往々にして、大胆で独創的な考えに基づいて政治的因果関係を広い視野で論じた論文よりも、あまり重要でない兆候をもっぱら近視眼的に論じたものが好まれるのです。


73、現代日本は「情報化社会」の時代を迎えたと言われていますが、あなたは社会に関する情報が少なすぎると批判しています。日本はまだ「情報化社会」ではないと考えますか。(女、フリーライター)

答、「情報化社会」と言う言い方はスローガンのようなものです。コンピューターやファックスなどの機器類が増えたと言うこと以上の意味はあまりないのではないかと思います。こうした近代的なオモチャがたくさんあるからといって、日本社会が他の社会より情報に通じていると考えるのはばかげています。

ありとあらゆるテクニカル情報が従来より手元に集めやすくなっているのは確かですが、洞察力や知恵、理解力に裏打ちされた本当の興味をそそる情報と言うものはすべて人の頭脳の産物なのだと言うことは、少し考えてみれば納得できることです。この点は少しも変わっていません。

109頁、02/5/10 836

ところで、日本人も外国人も、日本に関する基本的な事を正しく知らされておりません。このことを日米を比較して示してみましょう。まずアメリカですが、この国は常に厳しく観察、分析、批判されています。大勢の人たちが常時監視の目を怠らず、数多くの側面から批判的な発言を続けています。ひとつの例ですが、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(パリで編集され、東京など各地で印刷される)は毎日、五、六のコラム、あるいは意見記事を掲載し、アメリカの態度、制度、政策、あるいは権力者たちの動機について分析し、ときには批判しています。

この国際紙一紙だけ見ても、アメリカは毎日毎日、徹底的に解剖されて世界の目にさらされているのです。
インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は他の大陸でも同業他社の編集局員が多数読んでいます。

アジアとヨーロッパで同紙の分析は一部を引用され、それに現地の分析が加えられます。ですからアメリカが徹底的に吟味されていることを否定する人はいないでしょうし、世界で最も重要な政治経済国であるアメリカなら、そうされて当然でもあります。

日本は世界第二の経済大国です、しかしそれに見合う扱いは何も受けていません。日本の政治システムについても、官僚と産業界における権力者間の基本的関係についても、新聞が常日頃分析を加え、発言すると言ったことは余りありません。

日本のプレスは権力機構の一部になりすぎているため、それが出来なくなっている。学者の中には官僚を分析する人もいますが、彼らの洞察が政治議論に組み込まれることはなく、ましては主流にはなりえないのが現状です。

鋭い分析にしたを巻くような学者の方もいく人かはいらっしゃいます。しかし政治専攻という学者の大部分はただ単に政界で何が行われているかを述べるにとどまっています。つまりこれは、それとなく、あるいは堂々と権力者の行動や関係を正当化しているということです。

さもなければ、もはやまじめに取り合う知識人も少なくなってしまった、例の日本的マルクス主義レトリックと言う知的鎧の陰に隠れてしまっているのです。


110頁、02/5/10 93

74、日本のマスコミは主張を持っていない、持てないことに今日でも絶望的になっている。また、
政治的な意見を表明するテロとの対象にされる。これは社会が遅れている証拠だと思うが、どうすればよいのだろうか。(
61歳、男、編集者)

答、マスコミが日本社会の政治的要素として欠陥があると多くの人が考えるならば、そう考える人が十分な人数に達すれば、よりよいマスコミを育てる市場が生まれてくると思います。

ですから、新しい刊行物、安価で簡単に作れる刊行物が増えて、日本の政治議論を活気づけるきっかけになればいいと思っています。あなたはご自身も編集者で書き手なのですから、改革のために何か努力できるのではありませんか。


75、マスメディア、とくにテレビは、以前にも増して多くの人々の意見形成面で重要性を増してきました。政治制度をよくするためにテレビのキャスターやタレントも協力すべきだと思いませんか。(57歳、男、団体職員)

111頁、02/5/10 1643

答、テレビの困ったところは、信じられないほど表面的なことです。麻薬と同じで、人びとに刺激を与えるどころか、深く考えることをさせなくする。これは世界中同じで、多くの人が警告しているとおりです。

しかし、実際には政治的に意味のある、面白い番組もいくつかあります。このような番組をもっと増やしたいと思っている作り手もいるのでしょうが、会社を説得するのは難しいのでしょう。

興味をひくことに、頭がカラッポの出演者が多いなかにも、優れたパーソナリティがいて、その人たちマス・カルチャーのばかげて点について大衆を警告を発しています。以前に東京の日本外国特派員協会に中山千夏氏をゲストに招き、私がホスト役をつとめて、昼食会を開いたことがあります。

彼女が外国人記者からの多数の質問をみごとな回答ぶりで次々にさばいていくのを見て、私はめったにないすばらしい経験だと感じ、実際にそう申し上げたほどです。昼食会で招いたほかの多くの著名人ゲストに比べても、彼女は本当にすばらしい話してでした。

中山さんは少しも気取らない人です。後で分かったことですが、彼女は書き手としても優れた論客です。


76、マスコミで知的議論がなされていないと判断する論拠をあげてください。
いったい、どういうものを読んでいるのですか。(
29歳、男、会社員)

112頁、02/5/10 1720

答、日本の新聞はいつも数詞に目を通します。興味深い記事や論文があれば、雑誌も必ず読みます。知的なディスカッションがないがしろにされていると言うことは、それらを読めば明らかです。

日本が当面している問題は何か考えてください。それから新聞を見てください。すると、実際的で一貫したディスカッション、たとえば住宅問題を議論すると言ったことがほとんどなされてないわけです。

こうした問題を扱った記事はあるのですが、ディスカッションにならなっていない。

「不快で望ましくない」と言うだけでは、ディスカッションにならないのです。

政治的に意味のある書き物と言うのは、当局者の目の前に問題を常に突きつけて追及しつづけるという姿勢がなければならないと思います。

社会の多数派であるサラリーマンは多くの問題をかかえています。今申し上げた住宅問題ですとか、ほかにもいろいろな問題がある。たとえば、気が狂いそうな教育システム。

多くの若い人たちが若者らしい生活を犠牲にして、まるで役に立たない知識を丸暗記している。いわゆるよい大学に入ってしまえば、それっきり忘れてしまうような知識です。そして、大学に入ってからもほとんど意味のない大学教育を受ける。学ぶものは実に少ない。マスコミが本気になって取り組まねばならない問題を並べるだけで、延々と話を続けられます。


77、マスコミの改革によって、権力を持たぬ日本人に正確な情報を提供することが出来るか。そのために何をすべきか。(62歳、男、)

答、先日、若くして社長になった日本のビジネスマンから聞いた話なんですが、彼のような年若い社長が新聞を読むのは、いい情報を得るためではなくて、紙面を通じて日本の大衆にどういう情報が流されているのか、つまりどういう情報しか与えられないのか、どういう情報なら与えることが許されるのか、と言うことを知るためなんだと言っていた。

113頁、02/5/10 1752

肉食が地球を滅ぼす

中村三郎・著  ふたばらいふ新書  

2003年刊もくじ

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第1章  なぜ狂牛病は起きたのか

  狂牛病の日本上陸

  プリオンとプリオン病

  なぜイギリスで発症したのか

  カニバリズムが生んだプリオン病

  変異型ヤコブ病の発生

  日本への感染ルート

  甘かった行政の対応

  破られた種の壁

  ヒトの狂牛病が大発生する?

  殺されていく牛たち

第2章  食肉が病原菌を運んでくる

  O157の集団食中毒

  犯人はカイワレダイコンだったのか

  すべてを牛が汚染する

  ハンバーガーが消えた日

  病原菌に変異したO157

  増殖する食品由来病原菌

第3章  薬漬けの動物生産工場

  肉牛の大量生産工場

  濃厚飼料とビタミン剤

  病気を増やす抗生物質の乱用

  ホルモン剤残留の恐怖

  反逆する細菌

  経済動物たちの悲しき運命

第4章  地球から食糧が消える日

  肉食が飢えを招く

  肉食化する中国の脅威

  過耕作で劣化する農地

  枯渇の危機にある水資源

  農業を脅かす温暖化

しのびよる気象パニック  遺伝子組み換え作物では救えない     第5章  牛に破壊される地球  消えていく熱帯林

砂漠化する大地  野生動物たちの悲劇

糞尿汚染に悩む  牛が地球を温める

第6章  世界を食いつぶす巨大ビジネス

穀物メジャーの暗躍  食い物にされる途上国

グローバリゼーションの暴力  中国進出の野望  ゼロに等しい日本の穀物自給率

第7章  食卓を変えたアメリカの小麦戦略

  アメリカで余った小麦のはけ口

  学校給食を攻め落とす

  小麦に席巻された日本の食卓

  捨て去られた米の文化

第8章  それでも肉を食べ続けるのか

  ファーストフードの危険性

  ハンバーガーから発ガン性農薬

  ポストハーベストによる残留農薬

  食肉に潜む抗生物質耐性菌

  放射線を浴びた肉

第9章  未来の理想の食を求めて

  肉食が生活習慣病を増やしていく

  子供の健康を害する学校給食

  世界に広がる日本の伝統食

  肉はスタミナ食ではない

  健康的だった1950年代の食卓

  スローフードで豊かに生きる

  肉食は人類を破滅に導く

  日本の食文化を守っていく  

肉牛の 肉牛の大量生産工場  [もくじ]

●ロッキー山脈を望むコロラド州グリーリー。見渡すばかりのトウモロコシ畑と二分するように、フェンスで囲まれた巨大な土地が広がる。フェンスの中には、何万頭もの牛が群れている。東京ドームの10個分はすっぽりと入ってしまうほど土地は広いが、牛たちが自由に動き回るスペースはない。50頭ほどずつ群分けしたパドックに入れられ、狭い囲い地の中でひしめき合っている。木陰を作る樹木は1本もない。ときおり突風で砂煙が舞う。牛たちはけだるそうに、あるいはイライラしたふうに体を揺らせて、柵に沿って作られた給餌槽に首を突っ込んでエサを食べている。

 コロラド州のグリーリーに限らず、アメリカの北西部を中心に、都市の郊外に行けばどこでも見られる、ごくありふれた光景だ。アメリカの牛肉ビジネスを支えているフィードロットである。

 フィードロット(feed lot)とは、牛を放牧にせず、フェンスで仕切ったペン(牛囲い)に入れて効率的に肉牛を生産する集団肥育場のことをいう。アメリカの肉牛生産は、大手食品メーカーによる5万頭から10万頭単位の大規模なフィードロットの経営のもとに、徹底した大量生産が行なわれている。肉牛は、だいたい次のような養育プロセスをたどって出荷される。

 繁殖の専門業者が、種牛を、子牛の生産を行なっている農家に貸し出す。農家は種付けをして子牛を出産させる。生まれてしばらくは、子牛は母牛と一緒に過ごすが、6カ月から8カ月で離乳し、体重が200キロを超した頃、子牛を育成業者に引き渡す。

 育成業者は子牛を牧場で約1年間、牧草を食べさせながら、体重が350キロ程度になるまで飼育する。そして、目標体重に達した牛は、フィードロットに送る。

 フィードロットでは、牛を出身牧場ごとに分けてペン(牛囲い)の中に入れ、4カ月から5カ月の短期間のあいだに穀物を主体とした配合飼料を与えて肥育する。こうして体重が500キロ前後の成牛になると、食肉加工工場に出荷するのである。

 フィードロットの牛は狭いペンの中に押し込められ、より早く、より太らせるために、青草の代わりにトウモロコシや大豆などの濃厚飼料をひたすら食べさせられる。加えて、病気の発生を未然に防ぐために抗生物質を投与される。同時に、肥育効率と肉質を高めるためにホルモン剤も与えられる。体重や体長をコンピュータで管理され、給餌や糞尿処理などすべて機械化されたシステムの中で、監禁状態のような生活を強いられるのである。(中略)

 牧場の牛といえば、かつては草原で1日のんびりと草をはんでいたものだ。そして陽が沈む頃ともなると、カウボーイがこれまたのんびりと馬で牛たちを畜舎へ追っていく牧歌的な風景があった。動物と人間のおだやかで自然なつながりとわかり合い、融合があった。今は見る影もない。

 フィードロットの牛たちは、命ある生き物として認められていないのだ。人間の利益を生み出すビジネスの対象としてしか存在しない。フィードロットは巨大な肉牛生産工場であり、車やテレビを大量生産する機械工場と同じなのである。

病気を

 病気を増やす抗生物質の乱用  [もくじ]

 

●狭い土地の中に、まさにぎゅうぎゅう詰めにされる牛たちは自由に動き回ることができない。本来、広い牧草地でのびのびとしていたのが、極端に運動を制限され、彼らの本能はねじ曲げられる。そのため、それがときとして異常な行動になって現れる。(中略)

 ストレスがたまれば、それに起因する病気の発生率が高くなる。(中略)

 牛結核や口蹄疫などの伝染病でも発生したら大変である。一頭でもかかったら、フィードロットの牛たちに次々と広がってしまう。そこで、こうした病気の発生を防ぐために、エサに抗生物質を混ぜる。栄養添加物入りの濃厚飼料に、さらに抗生物質がたっぷりとまぶされるのである。(中略)

 

●抗生物質と細菌の戦いは、追いつ追われつのシーソーゲームだ。抗生物質が強くなれば、それに対抗して細菌も強くなるという関係である。耐性菌の出現は、結果として新しい抗生物質の開発につながっていく。現在では2000種にのぼる抗生物質が開発されている。しかし、細菌は抗生物質に対してすぐに耐性を持つようになるから、抗生物質を投与しても効かなくなる。両者はイタチごっこの関係になっているのだ。(中略)

 フィードロットの牛たちは多種多様な大量の抗生物質を投与されている。クロロマイセチンやチオペプチンといった抗生物質が10種類以上もエサの中に混ぜられるという。(中略)

 フィードロットの経営者たちが牛たちに抗生物質を与えるのは、むろん彼らの健康を思ってのことではない。出荷に影響しないように、さしあたっての病気を防ごうというのが目的である。目の前の利益を守るためだけであって、その姿勢は非難されるべきであろう。抗生物質の使用は、新しい病原菌を生み出して牛たちの健康を阻害するだけでなく、我々人間の安全をもおびやかしているのである。

ホルモン剤

 ホルモン剤残留の恐怖  [もくじ]

●フィードロットの牛たちは、ビタミン剤入りの濃厚飼料を食べさせられ、加えて抗生物質を打たれ、そのうえ、さらにまたホルモン剤を投与される。

 動物一般に言えることだが、牛、とくにオスの牛は成長するにしたがって筋肉が荒くなって肉質が硬くなる。食肉としての品質が落ちてくる。ホルモン剤は、それを防いで肉質を軟らかくするために使われる。(中略)

●ホルモン剤の事件は、1985年にも起きている。プエルトリコで約3000人の赤ん坊や女児に初潮が起こり、乳房がふくらむという異常成熟が発生した。調べたところ、子供たちすべてがアメリカ産の牛肉を食べていたことがわかり、その牛肉から、通常、人体が分泌する10倍以上のエストラジオールが検出されたのである。

 この衝撃的なニュースは、世界各国に大きな波紋を広げた。EU諸国では、ただちにホルモン剤を投与したアメリカ産の牛肉の輸入禁止措置をとった。ところがアメリカは、これを不満としてEU産の果物に対して100パーセントの輸入関税を課すという経済制裁におよんだのだ。(中略)ホルモン剤の使用は人体に影響はないと主張するアメリカ政府だが、まったく信用できないのである。

経済動物たち

 経済動物たちの悲しき運命  [もくじ]

 

●今日の日本でも、肉牛生産はアメリカのフィードロット方式を取り入れ、アメリカほど大がかりでないにしろ濃厚飼料と薬剤で育てる飼い方が一般的である。牛は、もはや人間と共生する「家畜」ではなく、商業資本のもとで工場生産される「経済動物」なのだ。では、鶏や豚はどうなのか。彼らとて牛と同じである。機械化された工場に閉じこめられ、経済動物として大量生産されている。

 まずブロイラーである。

ブロイラーは卵からヒナにかえると、すぐに飼育用鶏舎に入れられる。狭いスペースに大量に詰め込まれ、1坪(畳2枚分)あたり100羽以上にもなる。そのとき、つつき合ったり、エサを散らさないようにくちばしを短く切り落とされる。鶏舎は日光の射す窓がなく、つねに薄暗くしてある。鶏は「コケコッコー」と鳴いて夜明けを告げる習性を持つ。これを大勢でいっせいにやられては、うるさくてかなわないというわけだ。エサは当然、高カロリー、高タンパクの濃厚飼料である。それに栄養剤、消化剤、抗菌剤などが添加され、自動的に給餌されるようになっている。

こうして、鶏舎の中で押し合いへし合いして育っていく。8週間前後で、食肉に最適な体重1.5キロほどの若鶏に成長する。そのころには鶏舎は、体が大きくなった鶏たちでぎっしり満杯の状態になる。あとは食肉処理場のトラックに積み込まれるのを待つだけである。

卵を産む「採卵鶏」も似たようなものだ。狭いケージの中に立ちっぱなしで、薬剤入りの飼料をたっぷりと与えられ、卵を産み続けさせられる。鶏舎はブロイラー用とは逆に、夜でも照明が当てられ明るい。人工的に昼の時間を長くすることで季節感を鈍らせ、羽の生え代わりを抑える。すると体力の消耗が少なくてすみ、栄養価の高い卵ができるのだという。

鶏たちは、1日に1、2個の卵を量産する。そして、1年半から2年で、その役目は終わる。毎日の過酷な“労働”で体がボロボロになっていき、2年もたつと卵を産めなくなってしまうからだ。用済みになった鶏たちは食肉加工場へ送られ、ソーセージやスープの材料にされる。鶏の寿命はだいたい15年から20年だが、経済動物の宿命とはいえ、その10分の1も生きられない苛酷で哀れな一生なのである。

●豚の場合は、フィードロットの牛と飼われ方はほとんど同じだ。土のないコンクリート床の囲いの中に押し込められ、やはり濃厚飼料と薬漬けでいやおうなしに太らされる。

豚は見かけによらずデリケートな動物である。それだけ人間に近いというわけだが、だからストレスがたまりやすく、ノイローゼになることが多い。ストレスが高じれば、当然の帰結で病気にかかりやすくなる。しかし、生産者は環境の改善などまったく考えない。大量の薬品投与でしのごうとする。豚に対する薬品の使用量の多さは牛や鶏に比べて群を抜いている。薬を使えば使うほど豚の抵抗力が弱くなって、病気にかかる率が高くなる。にもかかわらず薬の投与を繰り返す。そこには食品業界と薬品業界の持ちつ持たれつという“腐れ縁”がからんでいる。そのため、養豚場では、病気は絶えることがない。(中略)

豚たちは、体重が100キロ前後に達する6カ月を過ぎると監禁生活から解放される。だが、そのときは肉体的にも精神的にももうズタズタになっているのだ。その後の行く末は言うまでもない。

●かつて農家や農場で育てられていた家畜は、繁殖も成長も自然のありように任せられていた。彼らの健康と命は、太陽の光と自由な活動によって得られたのであって、人工飼料や薬剤で保たれるのではなかった。

牛は広い野原に放たれて草をはみ、豚はキッチンから出る余り物を食べたり、土を掘り返して食べ物をあさった。また、鶏は庭先を歩き回って草の芽や虫をついばんだ。彼らは本能のまま自由に行動することが許されていた。そして、その代わりに食肉となり、卵を産んで人間に生活の糧として提供した。

家畜は、農家にとって確かに金銭をもたらしてくれる価値ある存在だったが、だからといって、現金を生む動物としてしか扱われなかったわけではない。彼らは自然がさずけてくれた恵みであり、その一頭、一羽に対して畏敬の念をもって接すべきだという自然観があり、単に利潤を生む対象ではなかったからだ。その意味でまさに「家畜」だったのであり、農家の家族の一員だったのである。

(中略)

動物たちが自然環境の中で自由に暮らしていられるということは、人間にとっても幸せだった。彼らは野原をあちこち歩き回ることによって、土の中のさまざまな細菌にふれる。そうした中でおのずと病原菌に対する免疫体質ができあがる。そのため病気らしい病気もせず、健康で丈夫だったからだ。

また動物たちは動き回りながら、食欲のそそられるままに、自然が作りあげているいろいろなものを食べた。この運動と多様な栄養素のおかげで、今日の大量生産物とは中身のまったく違う、健全で上質な食べ物を生み出してくれていたのである。それはたとえば、放し飼いの鶏の肉と、養鶏場で育つブロイラーの肉を食べ比べてみればいい。放し飼いの鶏の方が、風味も栄養価もはるかに優れていることがわかるだろう。

ところが今日では、動物たちを田園から切り離し、工場に閉じ込めて大量生産する。太陽の当たらない、ほこりっぽい倉庫のような場所で、朝から晩まで薬漬けで食っちゃ寝の生活を押しつけられ、ぶくぶくに太らされて食肉工場送りにされるのだ。ただひとえに肉を生産する人工マシーンに改造されてしまった。(中略)

生産者が目指しているのは、動物とともに生きる喜びではなく、要するに利益である。そのために、動物たちは効率よく金が儲かる存在でなければならないのである。

肉食が飢えを

 肉食が飢えを招く  [もくじ]

 

●現代の畜産は、昔とは一変して穀物から食肉を製造する加工業になってしまった。食肉は、いわば穀物を濃縮パックした工業製品なのだ。では、その工業製品を作るのにどのくらいの穀物を使っているのだろうか。これが、とんでもない量にのぼるのだ。世界の穀物生産量は、年間約17億トンだが、なんと、そのうちの半分に近い、8億トン以上が飼料として消費されているのである。

 わかりやすい数字で示すと、食肉1キログラムの生産に要する穀物量は、ブロイラーで2キログラム、豚で4キログラム、牛にいたっては8キログラムになるという。牛の場合、出荷されて食用になる500キロの体重にするまで、1200キログラムの穀物を食べさせなければならないのだ。

●世界の人口は、およそ60億人という。穀物の総生産量は年間17億トンだから、一人あたり1年に280キログラムの穀物が世界中の人に分けられることになる。この量は、栄養を維持するのに十分ではないにしても、けっして少ない量ではない。

 なのに、世界の多くの国の人間が飢えにさらされ、栄養失調で苦しんでいる。それは、なぜなのか。答えは簡単である。穀物の分配がうまくいっていないからだ。

 たとえばアメリカでは、1人あたり年間1万トン以上穀物を消費している。一方、栄養状態が悪い国が多いアフリカを見ると、一人あたり200キログラム程度である。もっとひどい国では、1人あたり100グラムにも満たない。穀物分配のアンバランスがよくわかる。この分配の不均等には、ひとえに先進国と発展途上国との経済格差、いわゆる南北問題が大きく関与している。

 しかもアメリカは、1万トン以上の穀物のうち80パーセントは、穀物で飼育された家畜を食べて、つまり食肉という形で消費している。これは、アメリカほど際だっていないにせよ、先進国に共通の現象である。この食肉志向が、世界の飢餓に拍車をかけているのだ。本来、回ってくるべき穀物が、食肉を作るために使われて回ってこないわけだから、経済力の乏しい国は、いつまでたっても食糧難を解消できず、飢えるのは当たり前である。

 肉を食えば食うほど、富める国はますます富み、飢える国はますます飢えていく仕組みになっているといっていい。人間が直接食べられる穀物を家畜に与えて肉に変えることが、世界の飢えを生み出す大きな要因となっているのだ。

●現在、世界の30カ国で5億の人間が飢えに苦しんでいる。その飢えた人間を救うには年間2700万トンの穀物を供給してやればいいという。食肉の生産に使われる世界の穀物の30パーセントだ。それを人間の食用に回すことができれば、世界から飢餓はなくなる計算になる。もちろん、事はそう簡単には進まないだろう。しかし、今、我々が肉を食べるということが、途上国の飢餓という最も根源的な問題を引き起こしている現実を、しっかりとみつめる必要があるのではないか。

肉食化する肉食化する中国の脅威  [もくじ]●現在13億人の人口を抱える中国は、年間1500万人ずつ人口が増えている。(中略)

 この人口増加とともに脅威となっているのが、急速に進んでいる食生活における肉食化である。中国のGDP(国内総生産)はここ数年、10パーセント台の伸び率を続けており、経済成長にともなって食肉の消費がどんどん拡大しているのだ。

 経済が成長して所得が増え、家計にゆとりができれば、まず生活の根本である食事に豊かさを求める。穀物を中心にしていた食事から、卵、鶏肉が増え、やがて豚肉、牛肉へと、食事の内容がステップアップしていく。この変化は人間の自然な食願望であり、人類の歴史も一様にそうだった。日本の戦後、とりわけ60年代高度成長期以降の日本人の食生活も、大きな外的作用があったにせよ、同じである。

●中国の肉食化による穀物消費量の増大を如実に示しているのが、1994年以降の穀物の輸入だ。それまでは中国は世界有数の穀物輸出国だった。穀物を自給できる体制にあり、なかおつ海外に輸出できる大量の余剰生産物があった。ところが、食肉生産に使われる穀物の量がみるみるうなぎのぼりに増えていき、国内の生産量では間に合わないようになった。そのため、穀物の輸出を全面的に禁止しなければならなくなり、それどころか、穀物の輸入国に転じなければならなくなったのである。今や中国は巨大な穀物輸入国となっている。

枯渇の危機

 枯渇の危機にある水資源  [もくじ]

 

●地球上には、130兆の1万倍にあたる130京トンの水があると推定されているが、その97パーセントが海水である。淡水はわずか3パーセントにすぎず、しかも、その大部分は南極や北極の氷として存在している。人間が利用できる水資源というのはごく少なく、地球上の水の0.01パーセントしかないと言われている。

 水は、豊富な地域とそうでない地域の差が激しい資源の一つである。水資源の分布は、季節的にも地理的にも地域によって大きな相違があり、最も必要とする時と場所に必ずしも供給されない。したがって慢性的な水不足におちいっている国も少なくない。(中略)

 国連では、2025年には世界人口の3分の2が水不足という問題に直面すると予測しており、また、アメリカのスタンフォード大学の調査によると、人間が水資源を今のペースで使っていくと、2020年頃には枯渇し、世界全体の生態系が重大な危機に直面するという。

 水資源の利用量は、人口が増えだした1950年代以降に急激に上昇しているが、なかでも農業の分野で著しい。人口が増えると、主食である穀物を増産することが必要になる。そこで農業用水の使用量も増加したわけだが、現在、世界の農業用水の使用量は、50年前に比べて3倍に増えているという。

 

●アメリカが世界に誇る穀物生産国になったのは、ひとえに地下水のおかげである。アメリカの穀倉地帯として知られるグレートプレーンズ(大平原地帯)は、年間降雨量が日本と比べて4分の1も少ない乾燥地に広がっている。にもかかわらず、トウモロコシやコーリャン、小麦など、全米の大半の穀物を生産して収益を上げてきた。これはロッキー山脈の雪解け水が何千年もの間蓄えてきた巨大な地下水脈に支えられているからだ。(中略)

 しかし、このまま穀物の生産を維持するのはむずかしいといわれている。というのも、(ここの)オガララ帯水層は雨水の補充がきかない化石帯水層だからだ。(中略)

 2020年頃には完全に枯れてしまうことが予想されるのだ。その兆候はすでに始まっており、テキサス州の一部の地域では井戸が枯れかかって雨水頼みになりつつある。

 地下水の枯渇は灌漑農地面積を減少させ、穀物の生産量を低下させる。テキサス州では、この10年の間に穀物生産高が11パーセントに落ち込んだ。オガララ帯水層が枯渇するということは、アメリカ農業に大きな打撃を与えるだけでなく、世界の穀物輸入国にも深刻な影響をおよぼすのだ。そして、この地下水の枯渇現象は、アメリカのほかの農地でも発生しており、世界中が穀物不足に見舞われるという事態が間近に迫っていることを示唆しているのである。

農業を

 農業をおびやかす温暖化  [もくじ]

●地球の温暖化も農業環境をおびやかしている。(中略)

 小麦とトウモロコシは、気温が2度上がると収穫量は3分の1に落ちるという。

しのびよるしのびよる気象パニック  [もくじ](エルニーニョ現象によって、82年、85年、88年、91年、93年、95年、97年、99年に、アメリカの穀倉地帯が大きな被害を受けた内容が列記されていますが、ここでは割愛します――なわ・ふみひと)

●もし、アメリカの穀倉地帯が過去にない大規模な異常気象(熱波・旱魃)に襲われ、トウモロコシがほとんど全滅状態になったとしよう。三大穀物は、シカゴにある取引所の相場が国際取引価格の目安になっている。その穀物相場が、まず天井知らずの大暴騰を続ける。アメリカ政府は穀物の高値を武器に、世界の食糧支配を強化できるとニンマリすることだろう。一方、発展途上国では食糧の供給が途絶え、飢えた人たちが次々と死んでいく。

 日本はどうなるのか。日本は穀物輸入の大部分をアメリカに頼っており、トウモロコシの99パーセントはアメリカからの輸入である。途上国で餓死者がどんどん増えていくのをよそに、日本の商社が金にあかせて、アメリカが備蓄しているトウモロコシの買い漁りに奔走する。しかし、日本だけがアメリカのトウモロコシを独占することは許されない。世界中から非難を浴びることは目に見えているからだ。

 アメリカは、穀物の全面輸出禁止、あるいは輸出規制をするかもしれない。1973年にアメリカは、大豆が不作だったことから大豆の輸出を禁じ、日本でパニックが起きた。豆腐1丁50円だったのが150円にはねあがり、そのパニックが石油へと波及し、さらにトイレットペーパー騒ぎにまで発展したことはまだ記憶に新しい。いずれにせよ、日本は今までに経験したことのない大パニックにおちいることは間違いない。

 トウモロコシが供給されないということは、輸入トウモロコシを飼料にしている日本の畜産業が崩壊することである。それは同時に食肉の輸入もストップすることでもある、という覚悟をしておかなれければならない。異常気象が日常化した状況からいって、こうした危機に明日にでも直面する可能性は十分に考えられる。

消えていく

 消えていく熱帯林  [もくじ]

●今、世界の森林は激しいスピードで減少を続けており、深刻な状態にある。この10年間で実に1億5000万ヘクタールの熱帯林がなくなり、現在もなお毎年1600万ヘクタールが消失している。森林伐採と焼畑農業が主たる原因だが、牛や羊など家畜の放牧地への転換もまた大きな要因となっている。

 アメリカなど先進国における畜産はフィードロット方式が主流だが、世界全体でみると、放牧による飼育の方が多い。そして、そのほとんどがブラジル、ベネズエラ、などアマゾン川流域の中南米諸国に集中している。食肉を大量消費する先進国の企業が、これらの国で食肉増産のためにアマゾンの熱帯林を切り開いて家畜の放牧地に変えているからだ。今日、アマゾンの土地に約600万頭の牛が放牧されているという。この数は、中南米8カ国の総人口の30分の1に相当する。世界の熱帯林の半分をアマゾン地帯が占めている。そのうちの20パーセント(日本の総面積の3倍にあたる1100万ヘクタール)が、放牧地の開発ですでに失われている。

●この放牧地の開発は、中南米諸国によるアマゾンの商業利用計画が始まった1970年頃から急速に広がった。各国の政府がアマゾン地域への投資を奨励したため、先進国のアグリビジネスが牛の放牧場の建設を目的に、アマゾンの奥地にまで殺到した。土地の農民が所有する森林をわずかな金額で買収し、食肉生産のために熱帯林を切り倒していった。

 放牧地は、牛の群れに根こそぎ牧草を食べつくされ、養分や水分の枯渇、表土の流失を招いて、たちまちのうちに、種をまいても芽が出ないほど荒れ果ててしまう。そして、放牧に使えなくなると、その土地は打ち捨てられ、牧場主は次の放牧地を求めて、さらに熱帯林を切り開いていく。先進国の牛肉消費を支えるアグリビジネスの企てのもとに、こうした乱開発のパターンが繰り返され、アマゾンの熱帯林はどんどん減少していったのである。

 中南米の中でも熱帯林の3分の1を占めるブラジルでは、1970年から10年足らずの短期間に40パーセントもの森林が消えた。アメリカのワールドウォッチ研究所の報告によると、アマゾンで生産された牛肉からハンバーガー1個を作るのに、5平方メートルの森林が伐採されて放牧地に転換された計算になるという。

 アマゾンの森林には、さまざまな動植物が生存している。地球上に存在するとされる約100万種類の動植物、微生物など全生物種の5分の1が、ここに集まっているとみられる。もし、このまま森林破壊が進めば、今後25年間で動植物の約半数が絶滅の危機に瀕する恐れがあると言われている。

 また、熱帯林は、雨水を土から吸い上げ、葉から蒸発させて大気にもどすという雨水の循環作用を行なっている。熱帯林が少なくなれば、その地域の降雨量が減るわけで、旱魃や砂漠化をもたらす。南米の先住民の間では、「熱帯林が空を支えている。木を切り倒せば必ず天災が降りかかる」と、言い伝えられている。(中略)

 熱帯林は、人間に多大な恵みをさずけてくれる資源の宝庫なのであり、我々の日々の生活がいかに熱帯林に依存しているかを深く心にとめなければならない。今、残されている熱帯林が消滅してしまうとき、地球の生態系は完全に崩壊し、すべての動植物は地上から永遠に消えることになるだろう。もちろん、そのときは人類も同じ運命である。

砂漠化する

 砂漠化する大地  [もくじ]

●家畜の放牧による影響は森林だけにとどまらず、土地の砂漠化も招いている。

 現在、世界の放牧地面積は耕地面積の2倍にのぼり、そこでは13億2000万頭の牛と17億2000万頭の羊やヤギが飼われている。人口の増加と歩調を合わせるように家畜数も年々増加しており、食肉、牛乳、皮革、その他の畜産物に対する需要の高まりとともに世界各国で過放牧を引き起こしている。

 過放牧とは、放牧地で牧草の生産量が家畜による消費量に追いつけない状態をいう。過放牧になると、つねにエサ不足の牛たちは食欲を満たすために、あちこちの草地の牧草を食い荒らし、草の根まではぎ取ってしまう。すると地層がむき出しになって、土壌基盤が脆弱化し、風や雨に浸食されやすくなる。

 過去50年の間に、世界の放牧地の60パーセントが過放牧のために荒廃した。

穀物メジャー

 穀物メジャーの暗躍  [もくじ]

世界の穀物をほぼ独占的に扱っている存在として、「穀物メジャー」と呼ばれる巨大アグリビジネス(Agribusiness=農業関連企業)がある。アメリカに本拠地を置く10社程度の多国籍食糧商社で、カーギル、コンチネンタル、ブンゲ、ドレフェスなどが有名である。

 穀物メジャーは、(中略)世界各国に集荷網、販売網を張りめぐらせて、農地から世界市場までを統合した流通組織を支配している。大豆、小麦、トウモロコシなど世界の農作物貿易量の70パーセントを扱い、また、アメリカの全穀物輸出量の80パーセント以上を扱っているという。世界の穀物のほとんどは、この一握りの企業によって牛耳られているのであり、その支配力は一国の食糧政策をも左右するほど強大なのである。

 それほど大きな影響力を持ちながら、しかし最近まで、その実態はよく知られていなかった。というのも、穀物メジャーはすべて同族会社であり、株式を公開していないため、年間取引額や利益、投資計画など経営内容がいっさい外部には明らかにされないからだ。徹底した秘密主義で、しかも少数の同族グループでがっちりと固められている。一種のマフィア的組織の感がある。

食い物に

 食い物にされる途上国  [もくじ]

●アグリビジネスは、(中略)「発展途上国の土地と労働を使いながらその国の利益を守らず、先進国向けの換金作物を生産・販売して儲けている総合商社」と言い換えたほうが妥当だろう。途上国の農業発展を阻害しようとも、いかに利益を上げるかしか考えない。そのためにはなりふりかまわぬ手段をとる。そうした強硬な姿勢が非難されて、「本当はUglybusiness(醜悪な商売)ではないか」と陰口をたたかれているほどだ。

 現在、世界に5億人の飢餓人口が存在し、そのうちの1億5000万人がアフリカの住民と言われている。そして、そのアフリカを飢餓状態におとしいれている最大の要因の一つとしてあげられているのが食糧不足である。だが、食糧不足の原因は、アフリカの農業生産力の弱さだけではない。そこに、アグリビジネスの力が大きく働いているからだ。

●西アフリカのサヘル地域は飢饉の頻発で知られているが、1970年から74年にかけて記録的な大旱魃に見舞われ、1000万人が飢餓に直面した。ところが、そうした事態にかかわらず、農産物の輸出は輸入を上回った。70年から5年間に、サヘル諸国から輸出された農産物価格が、同じ時期に輸入された穀物価格の3倍にのぼっていた。国内が深刻な飢餓におちいっているのに、食糧が大量に輸出されるというのは不思議な話である。 実は、サヘルの「旱魃による飢え」が世界的に報道されて以来、飢餓難民に対する救援物資が、セネガルの首都ダカールの港に送られていた。ところが、救援物資が荷揚げされているその横で、本来国内に供給されるべき農畜産物が大量に船積みされていたのである。71年の1年間だけで、落花生、野菜、牛肉など6万トン以上が輸出され、それはサヘル諸国の全人口を1年間養うのに十分な量だったという。

では、サヘルの国々から輸出された農産物はどこへ行ったのか。

その6割はアメリカとヨーロッパに向けられ、残りの4割はアフリカ諸国の富裕階層の胃袋に消えた。そしてこの輸出で大儲けしたのが、かつて植民地支配をしていたフランスに代わって進出した、フランス資本のドレフェス社など数社のアグリビジネスだった。外資を稼ぎたいサヘル諸国政府の弱みにつけ込んで、貿易の密約を交わしたのである。

 巨大アグリビジネスは、アフリカの飢餓に追い討ちをかけ、その傷をいっそう深くさせている。主要な食糧の流れを思うままに操作し、アフリカ農業を取り巻く構造を植民地時代と少しも変えていない。彼らこそ、飢餓と飽食のはざまで利潤を追い求める現代企業帝国の犯罪的立て役者なのである。

ゼロに等しい ゼロに等しい日本の穀物自給率  [もくじ]

●日本の穀物自給率は著しく低い。1999年現在、24パーセントである。1960年の82パーセントから、信じがたいスピードで落ち込んできている。(中略)

 日本の自給率24パーセントというのは、世界178カ国中130番目という位置である。穀物自給率が日本より低い国をあげると、コスタリカ(21パーセント)、フィジー(10パーセント)、パプアニューギニア(2パーセント)などがあるが、日本はこうした途上国並みの水準にしかない。いわゆる先進国の中で最低の位置にあると言っていいだろう。

 カロリーベース(国民消費カロリーに対する国内生産カロリーの割合)も、わずか39パーセントで、この数字も、主要先進国の中で最低水準に位置している。カナダの152パーセント、フランスの139パーセント、アメリカの132パーセントは別格にしても、ドイツの97パーセント、イギリス、イタリアの77パーセント(いずれも98年実績)に比べ、どう考えても心もとない低さである。

●別な言い方をすれば、日本の総人口1億2000万人のうち、約7300万人分の食料は輸入でまかなっていることになる。米、麦、大豆などの穀物類(自給率24パーセント)に限ると、さらに上回り、9000万人を超える分を輸入に頼っていることになるのである。

まさに日本の食料生産は弱体化をきわめ、自給率は危機状態にあることがわかる。そして残念ながら、この「自給率」について、さらにしっかりと認識しておかねばならないことがある。(中略)

 トウモロコシを例にとろう。トウモロコシは98パーセントが輸入で、自給率が2パーセントである。日本で消費しているトウモロコシの2パーセントは国内の畑で生産しているわけだ。しかし、そのトウモロコシの種は、パテントを持つアメリカの穀物メジャーから買っているものなのだ。

それは、フォーミュラーワン(F1)というハイブリッド(一代雑種)の種である。「ハイブリッド」は、人間に例えれば、人種の違う両親を持つハーフのような優れた性質を持つ。が、そこに大きな落とし穴がある。それは、名前の示すとおり、一代しかその性質が維持できないからだ。1年目の収穫がよかったからといって、その年に採った種を翌年に使うことができないのだ。したがって、F1の種を使ってトウモロコシを作り続けるためには、毎年新たにその種を買い続けなければならない。しかし、生育には決められた肥料や農薬を使う必要があるため、それも毎年買い続けなければならない。つまり、日本で消費されているトウモロコシの2パーセントは、たしかに国内で生産されてはいるが、穀物メジャーの支配下に百パーセント置かれているのだ。トウモロコシの自給率は、厳密にいえば0パーセントということになるのである。

 このことは他の穀物にも言える。大豆や小麦の国内生産も、穀物メジャーから買い入れた一代雑種の種を使っているものが多いのだ。こうなると、「穀物自給率24パーセント」という数字もかなり怪しくなってくる。世界的有事など何らかの理由で穀物メジャーから種が入らなくなったとき、日本の穀物自給率そしてカロリーベースは、いったいどんな数字が示されるのだろうか。

捨て去られた

 捨て去られた米の文化  [もくじ]

●家畜のエサである飼料穀物となると、自給率はゼロに等しい。国内消費のほぼ全量がアメリカから輸入される。その飼料用穀物の増大もまた、米食から小麦食に転換されたことによってもたらされた。60年の飼料用穀物の国内消費量は590万トンだったのが、98年には1600万トンと約3倍になっている。パンや麺類のおかずには、米食にそえていた魚や味噌汁が合わず、必然的に肉や乳製品を食べるようになる。そして、その肉類を生産するために、飼料用穀物の需要が増え、大量に輸入されるようになったわけである。小麦食が日常化した65年からの30年間に、肉の消費量は12倍にのぼっている。したがって、小麦消費量の増大は肉の消費量の増大を促し、それがさらに飼料用穀物の需要を増やすという仕組みを生み出しているのである。

 アメリカは戦後の一時期、占領国日本に無償で小麦を提供した。そして、その“貸し”を利用して日本古来の米食を西洋型の小麦食に切り替えさせることに成功した。その結果、アメリカは小麦ばかりでなく、小麦食にともなう肉類や乳製品に加え、それらを生産するために必要な飼料用穀物の市場までも手にすることができたのである。

●一方、小麦に市場を奪われた米は急速に衰退する。自給率こそ100パーセント前後を保ってきているが、むろん、これは米の消費量が減ったからだ。年間1人あたりの消費量は、60年の110キロから98年には67キロとなり、40パーセントも減少している。(中略)

当然のことながら、水田面積も減少していく。戦後、戦争で縮小されていた水田面積は徐々に回復し、60年代には330万ヘクタールと史上最大規模に達した。ところが、小麦食の普及で米余りが生じたことから71年に減反が実施されると、以後、激しい勢いで減少していくことになる。そして現在は210万ヘクタールと、60年の約60パーセントに縮小されている。

(中略)

 食糧自給でよく日本と比較されるのがイギリスである。似たような気候風土の島国であることや、一時期、植民地政策で繁栄を築いたことで共通点が多い。

 イギリスは、第二次世界大戦で戦勝国となりながらも、戦争の代償は大きかった。ドイツの攻撃によって国内の農業は壊滅状態となり、しばらくの間はアメリカからの援助にすがるしかないほど食糧難におちいった。だが、その後が日本と違った。時刻で食糧をまかなうための食糧・農業政策に取り組んだのだ。農作物価格の保証や、生産条件の悪い土地の経済支援など、農業を活性化させるための施策を進め、自給率の向上に力を入れた。その努力が実を結び、70年には穀物自給率を60パーセントに押し上げ、みごとな立ち直りを見せた。そして今日では、自給率116パーセントという数字を達成するまでになっている。

 食糧自給率の向上はその国の義務であり、世界の常識である。そこからはずれてしまっている国は、先進国では日本しかない。アメリカの策略にうまくはめられた日本は、そのままズルズルと食糧輸入国に甘んじてきた。そして食糧の自給などまったくかえりみず、さらには、古来から伝わる日本独自の食文化と伝統をも捨て去ってきたのである。

肉食が生活

 肉食が生活習慣病を増やしていく  [もくじ]

●戦後日本では、GHQ(連合司令部)の思惑と、アメリカ風の生活を進歩と見る風潮が重なり合って、食生活の改善(改悪)が奨励されてきた。米を主食とする日本の伝統食は、欧米の食事に比べて栄養的に問題があるとされ、また欧米人並みの体位への向上を図るために動物性タンパク質を多く摂る食生活のスタイルが植えつけられていった。

 そのため、肉や卵、牛乳、バターといった高タンパク質食品が急速に普及していく。なかでも肉の消費量は、驚異的な勢いで増加していくことになる。1955年の年間消費量は20万トン足らずだったのが、小麦食が定着した65年には100万トンに達し、その後も消費を伸ばし、2002年現在では560万トンにのぼっている。50年の間になんと30倍にも増えたのである。

●肉はたしかにうまい。そのうま味が、まず好まれるのだろう。肉がうまいのは、そこに脂肪が含まれているからだ。だが、この脂肪がくせものなのだ。肉の主成分はタンパク質と脂肪だが、分子構造上、高分子のタンパク質は味がなく、低分子の脂肪は味があるのでうまく感じる。牛肉でも豚肉でも、ロースのほうがモモ肉よりもうまいのは脂肪が多いからである。(中略)肉を食べる際には、うま味のある脂肪の多い肉を、つい選ぶようになる。するとタンパク質よりはるかに多く脂肪を摂取してしまう。

 脂肪は、植物性と動物性に分けられる。植物性には、必須脂肪酸であるリノール酸が多く含まれ、体内のコレステロールを下げる働きを持つ。コレステロールはご存知のように、血管内にたまって動脈硬化の原因となる物質である。動物性には飽和脂肪酸が多く、コレステロールを体内に蓄積しやすい。(中略)

 動物性脂肪を摂りすぎると、コレステロールの蓄積によって動脈硬化性疾患を引き起こし、心疾患や高血圧症、糖尿病、脳血管障害などの生活習慣病にかかることが、すでに指摘されている。アメリカ公衆衛生局の報告によると、アメリカ国内の病気による死亡者の70パーセントが動物性脂肪の過剰摂取が要因と思われる生活習慣病で死亡しているという。

 

●食肉消費国の欧米では、こうした動物性脂肪の摂取過多による慢性病が大きな社会問題になっているが、さらに最近増加しているのが、ガンの発生である。ガンの発生は、もちろん脂肪の摂りすぎも関係しているが、動物性タンパク質も、また大きな要因となっている。タンパク質が体内に多くなると、トリプトファンという必須アミノ酸が腸内の細菌によって分解され、発ガン物質あるいはこれを生成する物質が促進されるからだという。

 近年、アメリカでは肥満や生活習慣病を防ぐために、脂肪の少ない赤身の肉を食べる女性が多い。しかし、赤身の牛肉を毎日食べている女性は、肉を全く食べないか食べても少量の女性に比べ、大腸ガンにかかる確率が2.5倍も高かった。動物性タンパク質とガンの関連性を調べた調査では乳ガンの発生率も多かったという。また、肉の中に含まれる多量の鉄分も発ガンを促進するといわれる。つまり脂肪の多い少ないにかかわらず、肉食自体がさまざまな病気を引き起こす原因になりうるということなのである。

 

●日本でも、肉食の増加にともなって生活習慣病が確実に増えてきており、ガンの発生も多くなっている。それまで日本人にはほとんど見られなかった大腸ガン、乳ガン、前立腺ガンなど、食肉消費国の欧米に多いガンが顕著な増加をしている。たとえば、大腸ガンによる死亡率は、まだ肉食の習慣がなかった1944年には、10万人にわずか2人だった。当時、アメリカでは10万人に16人と日本の8倍におよんでいた。その後、日本での大腸ガンによる死亡は68年に4人、88年には12人にのぼり、そして2000年には30人と、50年でほぼ15倍に増えているのである。

 アメリカやイギリスなど食肉消費国40カ国を対象に、統計調査が行なわれたことがある。その結果、肉食による脂肪とタンパク質の摂取は、いずれの国でも動脈硬化にともなう心臓疾患、大腸ガン、乳ガン、子宮ガンなどと強い相関関係があることが示された。そして、とくにガンにおいて、米、大豆、トウモロコシなどの穀物は、その発生を抑制する働きを持つことも明らかになったという。

 また、カナダの専門家による調査報告では、食肉(特に牛肉)が、ガンの発生、進行を促すことは否定できないとし、野菜や繊維質食品を多く摂取する食生活に変えなければ、ますます病気が増えていくおそれがあると警告している。

子供の健康

 子供の健康を害する学校給食  [もくじ]

●戦後、肉食を中心とした欧米風の食生活の推奨によって、日本人の体格はどんどん向上した。体が一回りも二回りも大きくなっただけでなく、脚もすらりと長くなり、スタイリッシュな体型に変わった。(中略)

 が、その一方で、ゆゆしき問題が持ち上がっているのだ。それは最近、子供たちの間にも、生活習慣病が急速に増えていることである。東京女子医大が首都圏の小、中、高校生を対象に調査した結果、20人に1人が動脈硬化や高血圧の傾向にあることがわかったという。(中略)

 子供の生活習慣病の増加には、学校給食が大いに関係しているといっていい。(中略) 現在の学校給食には、大きく言って2つの問題がある。1つは、肉や卵、乳製品を重視した献立である。子供の発育には動物性タンパク質の摂取が不可欠であるという栄養観に立っているから、どうしても献立の食材は動物性食品に偏ってしまう。(中略)

 もう1つの問題点は、子供に動物性食品偏重の栄養知識を植えつけてしまうことだ。学校という教育環境の中で出される食事だから、頭から肉や卵、乳製品が健康に最も大事な栄養源だと信じ込んでしまう。その栄養観が家庭に持ち込まれ、つねに動物性食品がメインの食事を摂るようになる。次第にコレステロールなどの有害物質が蓄積されていき、高血圧や動脈硬化を引き起こしていく。

●今、日本人の平均寿命は、男性が77.9歳、女性84.7歳で、世界一の長寿国である。これはうれしいことだが、この長生きを現代の子供たちに求めるのは無理だろう。

 人間の健康維持能力の基礎は、だいたい15歳から20歳くらいまでの間に形成される。日本人の寿命の長さを支えているともいえるお年寄りの人たちは、明治、大正、そして昭和初期に生まれた人たちである。この人たちは、戦前、戦後を通じて、粗食とはいえ欧米化されない日本伝統の食習慣を持って生きてきた。つまり、生命力の基本を作る青春期を、日本古来の食文化の中で育ってきた人たちなのである。現代の子供たちを取り巻く食環境は、この人たちと正反対のところにある。飽食と動物性食品の食事にどっぷりとつかってしまっている子供たちは、だから短命に終わる可能性が高い。成人に達する頃にはさまざまな病気に苦しむことになるのではないか。

世界に広がる

 世界に広がる日本の伝統食  [もくじ]

●食生活の欧米化が推奨され、動物性食品を多く摂るようになって、日本人はさまざまな疾患に悩まされることになったわけだが、一方で、今、アメリカでは皮肉な現象が起こっている。日本食ブームである。

 アメリカの多くの大都市で寿司バーが続々とオープンし、スーパーでもパック入りの寿司が売り出され、テイクアウト食品として人気を集めてきている。また、豆腐やそば、そしてこれまではほとんど見向きもされなかった梅干し、納豆なども流行しだしているのだ。ハリウッドのある有名なレストランでは、カボチャや大根、ヒジキなどの煮物料理が、スターたちの間で好評を得ているという。

 食肉の日常的摂取が健康に悪いという知識が、アメリカ国民の間に広まってきている証左といえるが、この日本食ブームは、アメリカ政府が1977年に発表した「理想的な食事目標」がきっかけである。通称「マクガバン・レポート」といわれるもので、アメリカ国民の動物性食品の摂取が危機的過剰レベルにあるとして、摂取量の抑制基準を作成、国民に報告して食生活の改善を呼びかけたのだ。(中略)

 その内容は、戦後、西洋化する前の日本人の食事における栄養摂取と非常によく似ている。何のことはない。日本の伝統食を参考にしたものなのである。日本人にさんざん肉を食わせておきながら、日本食を「理想の食事」とは、何とも無節操な、日本を小馬鹿にした話である。

●ところが「マクガバン・レポート」を発表した後も、アメリカ国民の肉類の過剰摂取になかなか歯止めがかからない。年々、心臓病やガンなどの生活習慣病の発生が増加、死亡者が多くなっていく一方だった。国民は健康に不安感を強く募らせるようになり、肉食を中心とする食生活を改める動きが広がっていった。(中略)

 最近、アメリカだけでなく、ヨーロッパ諸国でも肉類の過剰摂取の問題が注目され始め、日本食を採り入れることで、その量を抑える動きが見られる。ドイツやフランスでは、米と野菜の雑炊や豆腐ステーキ、豆腐サラダといった豆腐料理などが、すでにポピュラーになっている。肉食過多に対する見直し、そして低脂肪、低カロリーの日本の伝統食の普及は、今後、世界的な流れになっていくのではないか。

 

●日本の伝統食とは、一般的に、米を主食とし、その副食としてその土地で産する豆、野菜、魚、海草などを取り合わせた食事とされている。たしかに、猪、鹿、ウサギ、野鳥のほか、鶏や豚、農耕用に使えなくなった牛馬なども食べられていた。しかし、それらの肉を食べることを「薬食い」と言っていたことからみると、肉食は、通常の食生活におけるタンパク質源としてではなく、病気やハレ(祭りや祝い事)の日など、何か特別なときに口にするものだったのではないかと思われる。

 日本では古来から肉食はタブーとされてきて、その背景には殺生を罪とする仏教観があったからだ。天武天皇が肉食禁止令を出して7世紀より19世紀(江戸末期)までの間、公的には肉食は禁じられていた。ただし、魚肉は例外で、魚の殺生は許されていた。海に囲まれた日本は昔から魚を日常的な糧としてきたため、おそらく魚肉までは禁止することをしなかったのだろう。(中略)

 こうしたことから、日本は米を基本に植物性食品を主体とする食事を何世代にもわたって守ってきたのであり、その食事が「日本の伝統食」であると理解できるのではないだろうか。

肉食は人類

 肉食は人類を破滅に導く  [もくじ]

 

●欧米諸国になぜ肉食文化が生まれたのか。それは、端的に言えば風土と思想に起因する。(中略)つまり、ヨーロッパは農業に依存できない気候風土であるために、必然的に肉食が中心の生活にならざるを得なかったのである。

 また、彼らの肉食には、キリスト教的世界、あるいはそれ以前のユダヤ教的世界の思想が背景にある。「すべての動物は人間が利用するために作られたものであり、神は家畜や鳥、魚、すべての地球上の生き物を人間が食べるように用意してくれた」という『旧約聖書』の教義である。旧約聖書は、すべての生き物は人間のためにあり、自然は人間が征服するべきものと説く。この自然観は、我々日本人(東洋人)にはとても理解しがたい。(中略)

 地球上には、多種多様な動植物が複雑にからみあった生態系を形成して生きている。植物は太陽エネルギーを受けて無機物を有機物に変え、動物のエサとなる。動物は、さらに上位の食性順位にある大型の動物に捕食される。このように自然界では、食を通して相互に依存し合うシステムが機能している。

 人間が食肉とする牛や豚、羊などの動物は、人間と同じ哺乳動物である。したがって、彼らは自然界にあって、食性順位が人間にきわめて近しい地位にあるといえる。その人間と生物学的に近親で、ある種、同族に近い動物を食するということは、カニバリズムに接近することであり、非常に危険な行為なのである。(中略)

 ところが、「肉食動物」となった人間はこのタブーを犯し、人類を破滅の方向へと向かわせていると言えるのだ。現在、世界において、一方で肉の飽食が問題に上がり、他方で飢えで苦しむ人たちが多数いる状況の中にあって、なおのこと肉食から離れるべきなのである。

日本の食文化

 日本の食文化を守っていく  [もくじ]

●人間は、その土地の歴史に育まれた固有の食物を柱に、それぞれの食文化を形成してきた。食物に調理の工夫をこらし、味を深め、個性豊かなものにして生活の糧としてきた。人間が食を選ぶのではなく、住みついた土地の自然がもたらす食物を巧みに活用してきたのであり、食生活は、土地や風土を抜きにして考えることはできないのである。

 たとえ、さまざまな食品の流通が盛んになったとしても、食の地域性は尊重されてしかるべきである。我々が日常、物を食べるのは、空腹を満たす生理的栄養の摂取のためだけではなく、精神的、文化的滋養の充足もまた求めているからである。

 しかし、現代の日本はそれから遠く離れてしまった。悲しいことに、米を食べると頭が悪くなるとか、肉を食べると元気になるとか言いくるめられ、欧米文化に劣等感を抱きながら「西洋化が食生活の近代化であり高級化である」という考え方に洗脳されてしまった。そして、この考え方が伝統的な食の軽視、ひいては国内の食糧生産の衰退や、農地の荒廃を招くことになってしまった。

 こうした発想は、敗戦直後の食糧難や栄養不足におちいっていた頃には、それなりに意味と合理性があった。だが、狂牛病を始め、さまざまな食肉汚染問題が深刻の度を増している現在、肉食中心の食生活から脱却する食の転換が必要なのではないか。

 それぞれの民族はその風土で育ち、これからも生活を続けていく。それが宿命でもある。ならば、生活の基礎となる食は、その民族、国の自然環境に一番ふさわしい生産性を軸にしてつくり出していくべきだろう。

 肉食生活に終止符を打ち、古来からの伝統食の原点に立ち返る。それが、真の食生活の向上と未来の活力を生むのであり、そのための知恵が、今、我々に求められているのではなかろうか。 05/6/23 446